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マンガ家Mの日常
先週世間を賑わした話題。もはや下火?
現代のベートーベンとまでもてはやされた作曲家が、
実は作曲しておらず、全聾でもなかったかもしれない、と言う話。

世間的には、ゴーストライターを使って観衆を欺いた詐欺師とされているが、
作品を世に提供する立場から少し語りたい。

TVではもっぱら批判的な論調に傾いていたようだったけど、
新聞やネット等、文章媒体では落ち着いた分析も見られた。

当のS氏が経歴を偽ったのは糾弾されても致し方無い。
でも、果たしてそれがそんなに悪い事なのか?
障がいを偽っていたのだとしたら、その点は責められる。
でも制作過程に関しては、それが嘘を含んでいたとしても、何の罪があるのか。
ゴーストライターと言う言葉が遥か以前からある通り、
こうした制作形態は既に一般的だとすら言える。
今回は自己演出が過剰だったようだけど、それならば、例えば
整形してる美人女優はどうなの?
画面に写る美しさはその人が作り上げた嘘で成り立ってる。

S氏の過剰な自己演出をまかり通らせてしまったのは、
満足な下調べもせずに番組を製作して放送したTV局とマスコミ、
障がい者美談に群がる一般聴衆の責任でもある。
前者については最近の報道で既に多く触れられているので、
この場ではこれ以上書く必要も無いだろう。
後者については、マスコミでは取り上げ難い事なようで、
マスコミのお客である視聴者を敵に回す事が出来ないからだろう。

辻井伸行氏は先天性障がいのあるピアニストとして注目を浴びた。
辻井氏のピアニストとしての力量は紛れも無く本物と認められているけれど、
CDやコンサートチケットの爆発的な売れ行きは、
ただのクラシックファンによるものではなく、
障がいのある天才ピアニストというレッテルありきだった。

3.11以降の傾向なのかもしれないけど、世間がやたら美談を求めたがる。
重病や障がいを乗り越えて頑張る姿と言うのが
TVや映画、その他の媒体でも取り上げられる事が多くなったように感じる。
それ自体は人として重要なテーマであるから、歓迎される事なのだけど、
製作者も観客も、どこか安易に美談を高みから見て喜びたがる流れがある。

個人的には、それは逆に障がい者の方々に対して失礼な事のように思う。
勿論障がいの状態に応じて何らかのサポートが必要な場合も多々あるだろうが、
障がい者の方は障がい故の評価を求めてはいないのでは無かろうか?
一般的な仕事であれ、辻井氏のような芸術家であれ、
仕事の出来映えで純粋に評価されたいのでは無かろうか。
障がい者に対して差別的見方をしない、というのはそう言う事では無かろうか。

障がいに対する世間の偽善的センチメンタリズム、
それがS氏の自己演出を成立させてしまった。

(続く。)
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