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マンガ家Mの日常
最も有名なチェスプレイヤー、ボビー・フィッシャーの青年期を描いた映画。


戦後間も無い時期、ユダヤ人家庭に生またボビーは、
米ソ冷戦や赤狩り等、緊迫感の続くアメリカ社会の中で、
迫害や監視に対する意識を植えつけられて育った。

5歳になる頃には独学でチェスを覚え、
周囲の大人を負かす程の天才ぶりを発揮していた。
その後も家族の心配をよそに、偏執狂的なまでにチェスに打ち込む。

10代後半で全米チャンピオンになり、
マネージャー役の弁護士マーシャルとコーチ役の神父ロンバーディと共に
欧州を転戦し、世界王者を目指す。
当時、チェスの世界のトップにはソ連のプレイヤー達が君臨していた。
ソ連のチャンピオンがVIP待遇なのに比べて、ボビーは不遇。
大会主催者に契約金アップを交渉したり、待遇改善の傲慢な要求を突きつける。

その頃、幼い頃からの被害妄想や強迫観念が酷くなりつつあって、
母親や姉は心配を募らせていた。
電話の盗聴に過敏になり、毎回ホテルの受話器を分解して調べていた。
また、物音にも極端に過敏になり、対局にも支障をきたす場面もあった。

世界王者スパスキーとの対戦が決まり、米ソ冷戦の代理戦争のように扱われた。

不安定な精神状態が加速し、1戦目では致命的なミスを犯して敗北。
2戦目は会場に現れず、不戦敗という有様。
TVカメラを遠ざけさせたり、会場を変更させたりと、様々な無理難題を要求するが、
スパスキーは王者のプライドもあって、条件を受け入れて対戦に応じる。

対戦が再開されると、
ボビーは今まで誰も見た事もないような奇策を次々と繰り出して王者を翻弄。
見事勝利する。

映画本編はそこで終わり、後半生が実際の映像と共に紹介される。


ボビー・フィッシャーの人生はあまりにも有名なので、展開に驚きは無いけれど、
精神面の揺らぎや、チェスの迫力に引き込まれる。
時代背景に合わせて色彩を古めかしく調整した画面は品があって美しい。

それにつけても、無限の広がりのある指し手を構築する脅威的な頭脳は、
凡人には計り知れない。
紳士的で冷静なスパスキーまでが、対局で追い込まれるや物音に怯えて、
発信機があるのでは無いかと椅子をひっくり返して分解し、
レントゲンを撮らせてまでして調べるシーンには、薄ら寒さを覚える。

原題は「Pawn Sacrifice」で、チェスの手を示すと同時に、
当時の米ソのチェスプレイヤー達は冷戦の使い捨ての駒のようなものだったと
表しているらしい。
そこのところは映画ではあまり感じられなかったかな。
とは言え、盗聴や密告もあり得た時代では、
強迫観念に襲われるのも無理の無い事なんだろう。

神父役のピーター・サースガードが微妙に悪っぽくてチャーミング。
弁護士役のマイケル・スタールバーグも良い味出している。

遠征先の安いモーテルで娼婦と出会って、ボビーが初体験を済ませるシーンがある。
娼婦の方は若干の情を見せるが、ボビーはあっさりしている。
映画の中で、男女関係のシーンはそれだけ。

文化的競技を描いた作品としては「ちはやふる」がすぐ頭によぎった。
少女マンガでは、と言うか、映画でも、
女性を主人公にすると、とかく恋愛ドラマに重点を置かされてしまう。

何故、女性ばかりが終始男性の顔色を伺って
恋愛の事を考えていなきゃならないんだか、うっとおしく感じる。

「愛のエチュード」って言うチェス映画もあったなぁ。
でも、恋愛面はやはり女性主導だったような。
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