(ネタバレ注意。)
見るべき良作。
心が洗われる。
ロンドン、ケニントン地区の民生係ジョン・メイは
孤独死した人の身寄りを調べて連絡を取り、葬儀を執り行う仕事をしていた。
しかし、孤独死するにはそれなりの理由があったのか、
連絡が取れても誰も葬儀に参列せず、ジョン一人が立ち会う事もしばしば。
ジョン自身、家族も友達も恋人も無く、質素で単調な生活を送っていた。
地区の合併と、ジョンの仕事に時間がかかり過ぎる事から、
上司からいきなり解雇通告される。
悲しむ参列者の無い葬儀は無駄だと言い切る上司。
後任の女性は、保管中の遺灰を無縁墓にぞんざいにぶちまける。
ジョンのアパートの真向かいの部屋に住んでいたビリーという老人の葬儀が
最後の仕事となった。
自室の窓から見える部屋に住んでいながら名前も素性も知らず、心残りで、
解雇期限を越してでも身寄りを探し当てようとする。
自分用に購入していた墓地の場所もビリーに譲る事に決める。
遺品の中に古いアルバムがあり、娘らしき少女の写真が貼ってあった。
ある時期までは幸せな家庭生活を送っていたのか。
葬儀のBGM用にビリーのレコードコレクションを整理していると、
フィルムが出て来て、プリントすると、
製パン工場の帽子をかぶった仲間と映っている写真が見つかった。
ジョンは工場にかつての同僚を訪ねに行く。
更に、同僚の話から、かつての恋人を探し当て、会いに行く。
しかし、ビリーは気性の荒い男でトラブルも多かったようで、
同僚も元恋人も、葬儀の話には関わろうとしたがらない。
元恋人はビリーに知らせないまま娘を産んでいて、孫も出来ていた。
元恋人の「別れた後、ビリーは刑務所に入ったかも。」という話から
試しに刑務所を訪ね、内務省の書類を閲覧し、やがてアルバムの娘を探し当てる。
娘のケリーはドッグシェルターで働く心優しい女性に成長していた。
母親は3年前に他界していた。
ケリーもまた、葬儀に乗り気でなかった。
しかし日を置いてケリーからジョンに連絡が入り、一緒に葬儀の段取りを相談する。
誠実なジョンに好意を抱いたケリーは、葬儀の後でお茶しようと約束をする。
孤独な人生を背負っていたジョンに明るい光が差した。
雑貨屋で犬のイラストのマグカップを2個購入する。
帰りのバスに乗るのを焦って道路に飛び出し、
手前の車線を走るバスにはねられ命を落とす。
ビリーの葬儀にはケリーの他にも、元恋人と家族、製パン工場の同僚、
パラシュート部隊の戦友達、街の飲み仲間、等々、大勢が集合した。
同じ時、同じ墓地で、ジョンは誰にも気づかれず職員に無縁墓に埋められている。
ビリーの葬儀を終えた一行がその傍を通り過ぎる。
墓地から人の気配が消えた後、
かつてジョンが丁寧に埋葬した無縁仏の霊が、一人また一人と集まって、
ジョンの墓を見守る。
ロンドン郊外の静かな街並みと田舎の風景の映像が美しく、
清澄なBGMと共に、水分を含んだ空気感を感じさせる。
地味なストーリーであるようだが、小さな手がかりをたぐって
故人の身元を突き止める様子は知的で、探偵もののミステリーを思わせる。
抑制の効いたエディ・マーサンの演技、表情も素晴らしい。
ジョンは物静かなタイプで、感情を言葉にしない。
秘めた感情が表情から観客に十分に伝わってくる。
人は感情が湧いた時、いきなり理路整然とベラベラ器用に語れるものではない。
正確に語り尽くす脚本は分かり易いかもしれないが、嘘だと思う。
ジョンが何も語らない姿から、観客は多くを感じ取る。
ジョンは葬儀の為に丁寧に故人の人生を調べるが、
ジョン自身は44歳で事故死するまで、何故孤独な人生を歩んで来たのか、
映画の中では明らかにされない。
早くに家族を亡くしたのだろうか。両親の顔さえ知らないのかもしれない。
葬儀を執り行った故人の写真を1枚ずつ持ち帰って、アルバムに収めている。
彼らがジョンの家族だったと言える。
エンディングは素晴らしいけど、
正直言えば、ジョンとケリーを結びつけて、幸せにしてあげたかった。
誰に評価される事も無く人生を終えたけれど、
見えない形で大勢が感謝を捧げている。
美しい人生。
ショーン・ペン監督作の「プレッジ」をちょっと思い出した。
追記/邦題が残念、という沢木耕太郎氏の意見に賛成。
字面が良くないし、「おくりびと」に迎合してるのが見え見え。
沢木さん、良い邦題付けてよ。