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マンガ家Mの日常
日本洋画壇の大家のひとり、伊藤廉先生が亡くなられた時、
教授を通じて形見分けとして絵筆を2本いただいた。
大きめの平筆と中間くらいのサイズの丸筆。
使い込まれて、平筆は両端が削れたフィルバードと呼ばれる状態になっている。
この状態が描き心地が良い。
伊藤先生はジョルジュ・ルオーに師事されていてご自身の絵も厚塗りだったので、
絵の具にメジウムという固定剤を多く入れて使用しており、
メジウムで筆先が硬くなっている。
教授には「手入れして使いなさい。」と言われたけれど、
勿体無くて使えなかった。

少し上の世代の方々は直接伊藤先生に指導を受けていた事もあって、
葬儀に参列し、もっと色々形見分けの品を頂いて来た。
伊藤先生は上品でスラリとした方だったそうで、
背の高い男性の先輩はコートを譲り受けた。羨ましいね。
きっと上質なコートだったのだろう。

欧米等では、例えば夫が亡くなった時、衣類を教会に寄付する。
救世軍のバザー等もよく聞かれる。
元々洋服の文化なので、しっかりした衣類を受け継いで着る習慣がある。
日本でも着物を仕立て直しして代々着たりするが、
洋服の時代になって、そういう習慣はめっきり減ってしまった。
むしろ今は良くも悪くもチープなファストファッションの時代になり、
安い衣類をとっかえひっかえ。

昨日の夕刊で、大学生がシリア難民支援の為に古着集めしているという記事を見て、
ちょっと引っかかった。

神戸の大震災以降、ただの古着は迷惑でしかないと周知され、
今では災害時の支援物資としての古着も、一定の基準が設けられるようになった。
それでも、やっぱり、古着は古着。
「流行遅れになって、もう着ない。」そんな服がクローゼットに大量に眠っていて、
それらを処分するような感覚だとしたら、
支援としては、やはり失礼極まりない話だと思う。

あなた自身がその流行遅れの服をもう数年クタクタになるまで着て、
その間、新しい服を買わずに節約したお金で、清潔な新しい衣類を購入して
それを難民の方の支援に差し向けなさい。
学生たちにそう言いたい。
他人から後ろ指差されたとしても、
支援した証だとして、堂々と古着で歩いたら良い。

ボロは着てても心は錦。
それが日本の美徳。
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