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マンガ家Mの日常
先日TVで世界陸上を見て、思った。
100mを9秒台で走る、世界最速のランナー数人が決勝の舞台に立つ。
足が速い価値とはそういう事だ。
学校のクラスで1番早ければ、運動会で活躍出来るだろう。
でも、そんなもんだ。

容姿の良し悪しというのも、本来そういうもんではなかろうか。

日本で言えば、
上皇后美智子様、吉永小百合、岩下志麻、
そういう、特別な美女の容姿の美しさは語られてしかるべき。
でも、クラスで1番可愛かった子は?
何か特別な意味があるだろうか。

女性の容姿を事細かにランク付けして、
35点が30点を蔑むような愚の世界。

確かに、30点より35点の方が上ではある。
でも、そんなのは、人の物差し100項目(?)のうちの1項目に過ぎない。

それなのに、女性の容姿ばかりが特別視されるのは、
前回書いたように、日本の男尊女卑社会の中で、
女性がお人形としてしか存在を許されていない状況が継続されているから。


ぷよ子さんは、その容姿の為にずっと辛い思いをしてきて、
そのせいで卑屈になり、
Z夫さんと結婚しても、すぐに嫌われるようになるとの不安から、
結婚を躊躇ってしまっている。
Z夫さんはぷよ子さんとの結婚にメチャ積極的だけど、
ぷよ子さんがグズグズ言うのには、やっぱりちょっと面倒と感じてしまう。
でも、この2人は結婚して子供にも恵まれる未来(現在)があるらしい。
良かった良かった。


依然にも少し触れた通り、
アメリカのTVドラマ「グレイズ・アナトミー」では、
初期の出演者は美男美女揃いだったけど、
最近は人種だけでなく、容姿の面でも幅広いタイプの俳優を出演させている。
リアリティーショー「プロジェクト・ランウェイ」では、
一定数プラスサイズモデルを導入している。
ルッキズムに対する検討を展開している。


自分がずっと携わってきた絵画の世界では、
『美術」という限り、「美」に価値が求められる。
しかし、ルネサンスは人間性の復興が主題であって、
描かれる対象の人々の人間的内面が重視されている。

少女マンガでも、容姿は大きなテーマに位置付けられている。
アシスタント時代、とある人気マンガ家さんが、
登場人物達が目の前の美男美女を崇拝して身を捧げるような作品ばかり
描いておられたのを、仕事しながら苦々しく感じていた。

自分では、作中でそうならないよう留意してきたが、
当時の状況に流されていた事もあっただろう。


女性の容姿に対する受け止め方の転換期に来ているが、
日本の足並みは酷く遅い。
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