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マンガ家Mの日常
先日、新聞で白土三平先生の「カムイ伝」が紹介されていて、記事の文中、
「マンガ史の10作の一つ」という表現がなされていた。
ふと考え、「マンガ史の10作」としたら、
手塚治虫先生「鉄腕アトム」、石ノ森章太郎先生「サイボーグ007」、
ちばてつや先生「あしたのジョー」、藤子不二雄先生「ドラえもん」
水島新司先生「ドカベン」、さいとうたかお先生「ゴルゴ13」、
この辺りで決定として、
少女マンガからだと、やはり、
萩尾望都先生「ポーの一族」、池田理代子先生「ベルサイユのばら」は決定。
竹宮先生の「空がすき」「ファラオの墓」「地球へ」も傑作で、
100作なら文句なしだけど、10作となると、逃す。
(私、凄く偉そうに言ってる。お恥ずかしい。ごめんなさい。)
(残り1枠、決め手が無い。個人的には、水野英子先生「ファイヤー!」かな。)

頂点にいる先生方であっても、超えられないガラスの天井がある。
ガラス越しに、目の前に見えているからこそ、悔しさも増す。

70年代、溢れんばかりの才能を知らしめていたのは、むしろ竹宮先生の方で、
複数の連載をこなし、時代物でもSFでも、濃密な世界を描き、リードしていた。
ところが、1点に深く根を張り、コアを開いた萩尾先生の知性が、
少女マンガの最大マニアを引きつけ、世の文化人に愛され、
後年「プチフラワー」を立ち上げた名物編集長、山本順也氏の関心を独占した。

皮肉な事に、作品世界のオリジナリティという面でも、
リードしていたのは竹宮先生のようであったのだけど、
竹宮先生の世界を起点に、萩尾先生は大いなる跳躍を遂げた。
作品を読んだ読者の評価が全てなのだけど、
実際のところ、竹宮先生には、もっと色々言い分があるだろう。

夢とロマンを描き続けた少女マンガ家達の、最も人間臭い世界が今作に潜んでいる。


(とりあえず、完了。
 途中、間が空いてしまって、記憶が途切れて、
 書き切れていない部分もあるように思える。
 申し訳ない。)
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以前書き進めていた時から、随分間がが空いてしまって、
忘れかけてる部分も多少あるのは否定出来ないけど、
有耶無耶のまま放置にしないよう、書き収める。


竹宮惠子先生と、マネージャーの増山氏のパトロネス的関係。
同世代で、唯一無二の類い稀な才能を見せつける萩尾望都先生への憧れ。
この2つが本の主軸で、この2人がいてこそ、竹宮ワールドは成り立った。

マンガは個人での制作作業なので、元々引きこもりで、交友関係が狭くなりがち。
そんな中にあって、増山氏のようなスタンスの人に出会い、
一定期間仕事のパートナーとして支え合えたのは、
特に少女マンガの世界では珍しい。

そして、萩尾望都先生。
20代前半から、大人びた感性で、独自の作品世界を築き上げた。
萩尾作品の魅力の真髄は、マンガを創作する立場であれば、
尚の事強く意識させられる。

竹宮先生や萩尾先生の作品に触れるようになった頃は、
週刊誌連載を持っていた竹宮先生の方がリードしているように思えていた。
その後、花の24年組が話題になって、彼女達の関係性も話に上ると、
作品の制作過程や人間関係の問題も少しずつ伝わるようになって来た。

ただ、今作でも書かれているように、萩尾先生は淡々と我が道を行くタイプで、
竹宮先生をライバル視していた感は薄い。
いや、もしかすると、萩尾先生が竹宮先生についてあまり口にしなかったのは、
逆に、強烈なライバル意識の表れなのかもしれない。
本人のみぞ知る。

とは言え、現実的に表立ってライバル心を見せていたのは竹宮先生の方で、
素直でストレートな表現が分かり易い。



「8マン」「月光仮面」等、マンガ史に残る名作の作者、桑田二郎先生ご逝去。
ご冥福をお祈りします。

世代が離れているので、リアルタイムで作品を拝見してはいないけど、
「8マン」の絵柄にはお洒落な雰囲気を感じる。
タツノコプロの吉田竜夫先生と同様に、
当時のアメリカのキュートな文化を取り入れ、絵柄を洗練させたのだろう。

現在は、日本が世界のマンガを牽引している。
ただ、アニメの影響で画一的になったキャラクターの絵柄には、少し飽きを覚える。

土曜日の朝刊にて、
秋田書店最高顧問、秋田貞美氏、訃報に接する。
お悔やみを申し上げます。

1980〜2016年、社長職にあり、私の仕事中にも当たる。
面識は無い。

仕事をさせていただいた感謝もありながら、
同時に、雑誌の販売部数不振で、弱小マンガ家は厳しい環境に置かれた。
また、同族経営のワンマン体質、封建主義が編集部まで浸透しており、
女性マンガ家は特に低い立場を強いられた。

少しずつ、古い体質が改まって行けばと思うが、
同族経営なので、変化は期待し難い。

昨夜9時半頃、電話のベルが鳴り、見慣れない番号に一瞬おののく。
恐る恐る電話に出ると、ハーレクインの編集者でした。

「ウェディング・ナイト」が韓国でデジタル配信される事になり、
性表現の部分で画面に修正が入ったので、確認して欲しいとの話。

どうやら、事後承諾で、韓国側が既に変更した箇所については、
今からでは修正はさせて貰えないらしい。

そういう事って、配信する作品を選定する段階でとか、
事前に連絡があって然るべきと思うんだけど。

で、おそらく、現状では、マンガ家側に収益は殆ど見込めない。
「殆ど」って言ったらね、数万円とかじゃなくて、
数十円とか、限りなく0に近いか、0でも不思議ではない。

夜9時を回っていて、PC画面を観るのがシンドかったし、
収入にならない状況ではもはや仕事とも言えず、気力を奮い立たせるのが難しい。
編集さんの声も暗くて、変更箇所に不安があって、見るのが余計辛くなって、
とりあえず、今日まで待ってから画面を開く事にした。

変更は思っていた程には酷くはなく、まぁ、許容範囲。


とは言え、依然問題は残る。

文字通り、心血注いだ作品を一方的に変更されるのには、やはり納得いき難い。
作品の制作を担った日本側の出版社が、どうして主導権を取れないのか。

そして、マンガ家が収入を全く見込めない状況で、ビジネスと呼べるのか。
一般的な企業だったら、とっくに撤退しているんではなかろうか。
編集者の言う通り日本国内でハーレクインコミックが既に下降している状況では、
海外進出しても、先細りなだけではないだろうか。

本社のハーパー・コリンズは、出版社としては最大手なのに、
日本の出版社の戦略がまるで見えて来ない。

残念ながら、元のハーレクイン小説自体が、読み捨てのペーパーバックで、
小説としての出来が中途半端で、
それを自転車操業的に大量にコミック化して、
小説家もマンガ家も消耗が激しい。

編集者も...、放り出したマンガ家に、追い打ちをかけるような
悪条件の話を連絡しなけらばならなくて、面倒で、気まずくて、声も暗くなる。

海外進出は、喜ばしい事だった筈なのに。