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マンガ家Mの日常
萩尾先生のSF名作短編の一つに「A-A'」(1981年発表)がある。

これは何故か秋田書店「月刊プリンセス」に掲載された作品で、
秋田書店ではコミックス化されず、
小学館の萩尾先生の第2期全集に、表題作として収録された。
萩尾先生のホームグラウンドが小学館で、全集の企画が進行していたので、
力技で引っ張ったのかな。

それぞれの契約次第だけど、
作品の2次使用権は基本的には掲載誌の出版社が持つのが一般的。
ところが、複数の出版社で仕事している人気作家は、
秋田書店から原稿を引き上げて、別の出版社でコミックス化するケースもある。
...秋田書店のコミックスの装丁が古臭くて、売れないから。
元より、何故ジャンル違いの雑誌に、萩尾先生がこれほどの名作を渡したのか、
そこから既にちょっと疑問だけど。

そうした疑問はさておき。


「A-A'」は、人工変異種の一角獣種アデラド・リー(A)が、
コンピューター技師として派遣された惑星プロキシマで、事故死し、
予備のクローン体が再度現地に送られるところから始まる。

論理的で高い知能を有するが、他者への共感能力に乏しく、運動神経も鈍い。
3年間の滞在生活で、ようやく周囲と繋がりを持てるまでに成長したが、
再生されたクローン体は、最初の頃の無愛想なアディに逆戻りしていた。
アディ(A)と恋人関係だったレグ・ボーンは、
アディ(A')と関係を築き直そうと試みるが、違いを受け止めきれずに去る。

レグが去ってもアディは平然と仕事を続けていたが、
無自覚のまま食事も採れずに体調を崩す。
周囲の理解に助けられ、ようやく心を開くようになる。
その後、別の研究施設で事故死したレグが、クローン再生されて復帰。
アディは新しいレグと再び関係性を築く方向に向かう。


今作を読んだ当時は、ロマンに酔い、
そのSFとしての仕組みに感動するばかりだった。


一角獣種の特性が、アスペルガー症候群を表現したものだと、
暫く後になってようやく気づいた。


1988年には映画「レインマン」で自閉症が世界的に認知されるようになるが、
「A-A'」発表当時は、自閉症やサヴァン症候群、
アスペルガー症候群という言葉もまだ耳慣れないものだった。

時代時代によってコンセンサスが変わるが、
作品の中で病気や障がいについて描くと、圧力団体から攻撃されるケースもあり、
攻撃を避ける為にSF的な設定で描かれる場合もままあった。
後年、医療もののマンガが多く発表されるようになり、
萩尾先生も作品の中で障がいのあるキャラクターを直接描くようになった。

萩尾先生の場合は、医療としてのテーマというよりも、
障がいを含めた、対人関係の問題が主たるテーマとなっていた。

(続く。)

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(土地問題、相続問題で混乱して、こちらの記事が手付かずでした。)
(混乱は深まるばかり。)


核心に入ろうと思います。

あくまで個人的見解なので、
専門的には間違いがあるかもしれませんが。


20代半ば、萩尾先生は竹宮先生から出禁文書を突きつけられ、
その内容に従うと共に、断固たる決別を決意、実行する。
出禁文書や盗作疑惑によって、精神的に傷つき、体調を崩し、
マンガ家をやめるべきなのかとまで悩み苦しんだ。
しかし、萩尾先生にとって、マンガを描く事だけが存在証明であり、
生きる道だった。
マンガをやめるという選択は出来ない。
そうなれば、問題から遠ざかるしか手は無く、決別に至った。

問題解決の方法としては理解出来る。
しかし、50年の時を経て尚、竹宮先生との関与が、
精神状態や体調に影響を及ぼすものなのか、
出禁文書を赦せないのか。
そこが焦点となる。

何故なのか。

それは、萩尾先生が、自身のマンガ作品を通して世に知らせている。

(続く。)

(進行が鈍くてごめんなさい。)


竹宮先生からの出禁文書にショックを受けて体調を崩し、
萩尾先生は東京を離れ、郊外に引っ越した。
そしておよそ半世紀の後、「ジルベール」発行で注目を浴び、体調を崩し、
騒動の収束の為に「大泉」を発行。

巻末に、マネージャー城章子さんによる記述があり、
ミッシングリンク的な役割を果たしている。
竹宮先生が、萩尾先生の脅威的な記憶力を恐れていた件。
増山さんの話で、実は、大泉に来る人達は萩尾先生が目当てだった件。
そして、萩尾先生の創作活動を守る為に、
城さんは「ジルベール」を竹宮先生の元に送り返した。

マンガの仕事に限らず、
スタッフや家政婦さんに現金や物を盗まれたというような事件は多く、
萩尾先生にとって、城さんという信頼をおけるマネージャーを得た意義は大きい。
城さんがいなければ、もっと早い段階で引退されていたかもしれない。


マンガの歴史を語る上で、萩尾先生も竹宮先生も重要な位置におられるが、
コアな評論家の筆になれば、萩尾先生が存在価値においてリードする。
しかし、BLがコミックのみならず、ドラマや映画でも世界的に伝播した、
その創設者と言っても過言ではないのが、竹宮先生と増山さんであり、
その事実はもっと知らしめられるべきだろう。

萩尾先生と竹宮先生の作品を比較すべきではない。
(個人的には、子供の頃、限られたお小遣いでどの本を買うか、
 選択せざるを得ない状況があった事もあって、
 プライオリティを付けなければならず、比較、選択は付きまとった。)
今回の件で、ネットで、評論家のどなたかが、
「竹宮作品は時代とともに古びるが、萩尾作品は古びない。」と評していた。
そういう否定的な記述はやめて欲しかった。
竹宮先生の「ファラオの墓」「地球へ...」等は今見ても生き生きとしているし、
逆に、萩尾先生の現代日本の学園ものは、残念ながら、最初から古びている。


「ジルベール」で大泉が再注目されたが、
萩尾先生は当時を思い出す事を嫌い、
「24年組」と一括りにされるのも良しとしなかった。
(音楽等でも、ジャンル分けは評論家の領域でしかない。)

とは言え、
「ジルベール」で竹宮先生が萩尾先生をリスペクトしていたのに対して、
「大泉」の文章の辛辣さは全編通して激しい。
竹宮先生を「かの人」と称し、作品は目にせず、一切の関わりを絶った。
(記事の最初の段落で書いたように、
 小学館の日本歴史文学のコミック化の仕事で、
 萩尾先生がオファーを断り、私なんぞに振ってきたのは、
 竹宮先生がラインナップされていたからだと、判明した(と思う)。
 「大泉」での記述は少し違うようにも読み取れるが、
 かなり前の事で、多少の記憶違いがあっても不思議は無いので、
 無関係ではないだろう。)

この2作を通して、竹宮先生には謝罪と歩み寄りの気持ちが伺えるが、
半世紀過ぎて尚、萩尾先生の頑なさは際立つ。
20代前半の過ちを50年経っても赦せないものだろうか。

(続く。この後、佳境に入ります。)


「盗作」について、以前このブログでも少し書いた事がある。
明快な線引きは難しい。
インスパイアなんて聞こえの良さそうな言葉は気持ちが悪い。
真似されても、本人がOKな場合と、そうでない場合があるだろう。
逆に、真似した方は、
プライドが傷ついたら、作家で、
何も傷つかなければ、ただの商売人。

それにしても、「盗作」という言葉の響きが重い。
萩尾先生の件は、仮に噂を流した側の言い分が真実だとしても、
「盗作」とまでは言えない。
ただ、萩尾先生の言い分にも、ちょっと疑問を感じる。


増山さんが少年愛について頻繁に語るのを、
萩尾先生は「おまじないのよう」と揶揄していた。
それでも、何らかの影響は受けていた感じがするし、
様々な形で増山さんに世話になっていたのだから、
もう少しソフトな表現を選択出来なかったのだろうか。

まず、「トーマの心臓」の原型とも言える「11月のギムナジウム」が描かれた。
その段階では、目立ったトラブルは無かったと萩尾先生は受け止めている。
ところが、その後、「小鳥の巣」「トーマの心臓」と、
続けて、男子校寄宿舎を舞台にした作品が発表され、
竹宮先生と増山さんは危機感を覚えた。
「風と木の詩」もしくは「ヴィレンツ物語」で描こうとしていた世界に近く、
それらの作品を世に出した時のインパクトが弱まる可能性がある。


萩尾先生は「大泉」の中で、新撰組を例に挙げて持論を展開している。

過去、様々な形で新撰組が無数に作品化されている。
同じ新撰組であっても、描き方やテーマが違えば、それは違う作品なのである。
なので、男子校寄宿舎を舞台にしても、テーマが違う以上、
竹宮先生や増山さんのアイデアの「盗作」ではない。

それは正論。

もう一つ、言い分として、
少年を主人公にして、男子校寄宿舎を舞台に選んだのは、
小説や映画等、他の源泉が多数あるとの事。

ただ、新撰組のように小説や映画で長い歴史があるものとでは、
事情が異なるような気がする。
黎明期の少女マンガ界では、主人公はほぼ少女で、
少年を主人公に据えた作品は少なかった。
そんな中で、舞台を男子校寄宿舎にするのは、
アイデアとしてはかなり限定的な印象がある。

例えば、
同じ雑誌で、誰かが水泳を題材に描いていたとする。
その場合、それが100m自由形だとして、
もし次の人が400m個人メドレーの作品を出したらどうだろうか。
水泳ほどメジャーな競技ならまだしも、例えば、水球だったらどうだろうか。
片方は少年愛を描き、もう片方は友情を描いたとして、
それでも、水球という限定的な世界が重なって見えてしまう。

少年誌では時々野球マンガが2、3作掲載されている事があるけれど、
それは野球という超メジャーな題材だからギリギリセーフなわけで、
それ以外の場合、おそらく編集部が後発にGOサインは出さない。

今ほど多数の雑誌が刊行されていれば問題にならなかっただろうが。


竹宮先生や増山さんの「アイデア」を「情報」として消化し、再構築した。
それが萩尾先生の強みであるのかもしれないけれど。


竹宮先生は「風と木の詩」の中で、ストレートに性愛を表現した。
萩尾先生の「小鳥の巣」や「トーマの心臓」では、
性行為そのものは描かれていないが、恋愛感情やキスシーンは挟まれており、
更には、行為を超越した深い感情のせめぎ合いが描かれている。
そうした秘めた表現に、読者はより想像力を刺激された。
マニアな読者や評論家達はそこに魅了し続けさせられる。
年月を経るに連れて、軍配は定まった。

(続く。)

昨日、私用で外出した際、駅ナカの書店に立ち寄ってみたら、
本書が平積みされていた。
すごい勢いで売れている。


竹宮先生と萩尾先生は、それぞれの立場から増山さんについて言及したが、
作家ではない増山さんからは、今のところ意見が聞けていない。
SNSとか、小まめに調べたら、何かやっておられるかもしれないけれど。
もしかすると、どこかの出版社から打診が行っているかも?
ちらほらと悪くも書かれているので、
やはり当人からも話を聞かなければ不公平なような気がする。
竹宮先生も萩尾先生も、類い稀な才能の持ち主で、
マンガ制作にひたむきに取り組んでおられたから、
成功は必然だっただろうけれど、
増山さんの存在が無ければ、少し形が違っていたとも思われるので、
それなりに、増山さんに恩がある。


増山さんが大泉に少年愛の風をもたらせた。

当時、まだ少女マンガそのものの数が少なく、
萩尾先生や竹宮先生は、
手塚治虫先生や石ノ森章太郎先生の作品を読んで育ったので、
少年を主人公にした作品に抵抗無く入って行けただろうし、
男尊女卑の日本で女性の社会進出が妨げられる中、
仕事をする上でも、男性の立場を意識したであろうとも思われる。
少年を主人公に据えて、
のびのびとした作品を描きたいと思うのも自然な事だったかもしれない。

増山さんが語る少年愛にスムーズに共鳴した竹宮先生と異なり、
萩尾先生は少し観点が違っていたと「大泉」で述べている。

ただ、その時期に関する説明は少し強引な気がして、
ネット等で萩尾先生が批判されているのは、この段落ではないかと思う。

(続く。)