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マンガ家Mの日常
(土地問題、相続問題で混乱して、こちらの記事が手付かずでした。)
(混乱は深まるばかり。)


核心に入ろうと思います。

あくまで個人的見解なので、
専門的には間違いがあるかもしれませんが。


20代半ば、萩尾先生は竹宮先生から出禁文書を突きつけられ、
その内容に従うと共に、断固たる決別を決意、実行する。
出禁文書や盗作疑惑によって、精神的に傷つき、体調を崩し、
マンガ家をやめるべきなのかとまで悩み苦しんだ。
しかし、萩尾先生にとって、マンガを描く事だけが存在証明であり、
生きる道だった。
マンガをやめるという選択は出来ない。
そうなれば、問題から遠ざかるしか手は無く、決別に至った。

問題解決の方法としては理解出来る。
しかし、50年の時を経て尚、竹宮先生との関与が、
精神状態や体調に影響を及ぼすものなのか、
出禁文書を赦せないのか。
そこが焦点となる。

何故なのか。

それは、萩尾先生が、自身のマンガ作品を通して世に知らせている。

(続く。)

(進行が鈍くてごめんなさい。)

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竹宮先生からの出禁文書にショックを受けて体調を崩し、
萩尾先生は東京を離れ、郊外に引っ越した。
そしておよそ半世紀の後、「ジルベール」発行で注目を浴び、体調を崩し、
騒動の収束の為に「大泉」を発行。

巻末に、マネージャー城章子さんによる記述があり、
ミッシングリンク的な役割を果たしている。
竹宮先生が、萩尾先生の脅威的な記憶力を恐れていた件。
増山さんの話で、実は、大泉に来る人達は萩尾先生が目当てだった件。
そして、萩尾先生の創作活動を守る為に、
城さんは「ジルベール」を竹宮先生の元に送り返した。

マンガの仕事に限らず、
スタッフや家政婦さんに現金や物を盗まれたというような事件は多く、
萩尾先生にとって、城さんという信頼をおけるマネージャーを得た意義は大きい。
城さんがいなければ、もっと早い段階で引退されていたかもしれない。


マンガの歴史を語る上で、萩尾先生も竹宮先生も重要な位置におられるが、
コアな評論家の筆になれば、萩尾先生が存在価値においてリードする。
しかし、BLがコミックのみならず、ドラマや映画でも世界的に伝播した、
その創設者と言っても過言ではないのが、竹宮先生と増山さんであり、
その事実はもっと知らしめられるべきだろう。

萩尾先生と竹宮先生の作品を比較すべきではない。
(個人的には、子供の頃、限られたお小遣いでどの本を買うか、
 選択せざるを得ない状況があった事もあって、
 プライオリティを付けなければならず、比較、選択は付きまとった。)
今回の件で、ネットで、評論家のどなたかが、
「竹宮作品は時代とともに古びるが、萩尾作品は古びない。」と評していた。
そういう否定的な記述はやめて欲しかった。
竹宮先生の「ファラオの墓」「地球へ...」等は今見ても生き生きとしているし、
逆に、萩尾先生の現代日本の学園ものは、残念ながら、最初から古びている。


「ジルベール」で大泉が再注目されたが、
萩尾先生は当時を思い出す事を嫌い、
「24年組」と一括りにされるのも良しとしなかった。
(音楽等でも、ジャンル分けは評論家の領域でしかない。)

とは言え、
「ジルベール」で竹宮先生が萩尾先生をリスペクトしていたのに対して、
「大泉」の文章の辛辣さは全編通して激しい。
竹宮先生を「かの人」と称し、作品は目にせず、一切の関わりを絶った。
(記事の最初の段落で書いたように、
 小学館の日本歴史文学のコミック化の仕事で、
 萩尾先生がオファーを断り、私なんぞに振ってきたのは、
 竹宮先生がラインナップされていたからだと、判明した(と思う)。
 「大泉」での記述は少し違うようにも読み取れるが、
 かなり前の事で、多少の記憶違いがあっても不思議は無いので、
 無関係ではないだろう。)

この2作を通して、竹宮先生には謝罪と歩み寄りの気持ちが伺えるが、
半世紀過ぎて尚、萩尾先生の頑なさは際立つ。
20代前半の過ちを50年経っても赦せないものだろうか。

(続く。この後、佳境に入ります。)


「盗作」について、以前このブログでも少し書いた事がある。
明快な線引きは難しい。
インスパイアなんて聞こえの良さそうな言葉は気持ちが悪い。
真似されても、本人がOKな場合と、そうでない場合があるだろう。
逆に、真似した方は、
プライドが傷ついたら、作家で、
何も傷つかなければ、ただの商売人。

それにしても、「盗作」という言葉の響きが重い。
萩尾先生の件は、仮に噂を流した側の言い分が真実だとしても、
「盗作」とまでは言えない。
ただ、萩尾先生の言い分にも、ちょっと疑問を感じる。


増山さんが少年愛について頻繁に語るのを、
萩尾先生は「おまじないのよう」と揶揄していた。
それでも、何らかの影響は受けていた感じがするし、
様々な形で増山さんに世話になっていたのだから、
もう少しソフトな表現を選択出来なかったのだろうか。

まず、「トーマの心臓」の原型とも言える「11月のギムナジウム」が描かれた。
その段階では、目立ったトラブルは無かったと萩尾先生は受け止めている。
ところが、その後、「小鳥の巣」「トーマの心臓」と、
続けて、男子校寄宿舎を舞台にした作品が発表され、
竹宮先生と増山さんは危機感を覚えた。
「風と木の詩」もしくは「ヴィレンツ物語」で描こうとしていた世界に近く、
それらの作品を世に出した時のインパクトが弱まる可能性がある。


萩尾先生は「大泉」の中で、新撰組を例に挙げて持論を展開している。

過去、様々な形で新撰組が無数に作品化されている。
同じ新撰組であっても、描き方やテーマが違えば、それは違う作品なのである。
なので、男子校寄宿舎を舞台にしても、テーマが違う以上、
竹宮先生や増山さんのアイデアの「盗作」ではない。

それは正論。

もう一つ、言い分として、
少年を主人公にして、男子校寄宿舎を舞台に選んだのは、
小説や映画等、他の源泉が多数あるとの事。

ただ、新撰組のように小説や映画で長い歴史があるものとでは、
事情が異なるような気がする。
黎明期の少女マンガ界では、主人公はほぼ少女で、
少年を主人公に据えた作品は少なかった。
そんな中で、舞台を男子校寄宿舎にするのは、
アイデアとしてはかなり限定的な印象がある。

例えば、
同じ雑誌で、誰かが水泳を題材に描いていたとする。
その場合、それが100m自由形だとして、
もし次の人が400m個人メドレーの作品を出したらどうだろうか。
水泳ほどメジャーな競技ならまだしも、例えば、水球だったらどうだろうか。
片方は少年愛を描き、もう片方は友情を描いたとして、
それでも、水球という限定的な世界が重なって見えてしまう。

少年誌では時々野球マンガが2、3作掲載されている事があるけれど、
それは野球という超メジャーな題材だからギリギリセーフなわけで、
それ以外の場合、おそらく編集部が後発にGOサインは出さない。

今ほど多数の雑誌が刊行されていれば問題にならなかっただろうが。


竹宮先生や増山さんの「アイデア」を「情報」として消化し、再構築した。
それが萩尾先生の強みであるのかもしれないけれど。


竹宮先生は「風と木の詩」の中で、ストレートに性愛を表現した。
萩尾先生の「小鳥の巣」や「トーマの心臓」では、
性行為そのものは描かれていないが、恋愛感情やキスシーンは挟まれており、
更には、行為を超越した深い感情のせめぎ合いが描かれている。
そうした秘めた表現に、読者はより想像力を刺激された。
マニアな読者や評論家達はそこに魅了し続けさせられる。
年月を経るに連れて、軍配は定まった。

(続く。)

昨日、私用で外出した際、駅ナカの書店に立ち寄ってみたら、
本書が平積みされていた。
すごい勢いで売れている。


竹宮先生と萩尾先生は、それぞれの立場から増山さんについて言及したが、
作家ではない増山さんからは、今のところ意見が聞けていない。
SNSとか、小まめに調べたら、何かやっておられるかもしれないけれど。
もしかすると、どこかの出版社から打診が行っているかも?
ちらほらと悪くも書かれているので、
やはり当人からも話を聞かなければ不公平なような気がする。
竹宮先生も萩尾先生も、類い稀な才能の持ち主で、
マンガ制作にひたむきに取り組んでおられたから、
成功は必然だっただろうけれど、
増山さんの存在が無ければ、少し形が違っていたとも思われるので、
それなりに、増山さんに恩がある。


増山さんが大泉に少年愛の風をもたらせた。

当時、まだ少女マンガそのものの数が少なく、
萩尾先生や竹宮先生は、
手塚治虫先生や石ノ森章太郎先生の作品を読んで育ったので、
少年を主人公にした作品に抵抗無く入って行けただろうし、
男尊女卑の日本で女性の社会進出が妨げられる中、
仕事をする上でも、男性の立場を意識したであろうとも思われる。
少年を主人公に据えて、
のびのびとした作品を描きたいと思うのも自然な事だったかもしれない。

増山さんが語る少年愛にスムーズに共鳴した竹宮先生と異なり、
萩尾先生は少し観点が違っていたと「大泉」で述べている。

ただ、その時期に関する説明は少し強引な気がして、
ネット等で萩尾先生が批判されているのは、この段落ではないかと思う。

(続く。)

「一度きりの大泉の話」(以下「大泉」)
「少年の名はジルベール」(以下「ジルベール」)


「盗作」の噂が流れ、竹宮先生から出入り禁止を申し渡され、
萩尾先生はショックを受けて体調を崩してしまった。
その件について周囲に直接語る事はせず(少なくとも今作出版までは)、
体調不良を光化学スモッグのせいとして、
空気が良い郊外の建売を購入して、引っ越しを決めた。
そして、竹宮先生と完全に袂を別つ。

ここで、少し分からないのは、増山さんの立ち位置。

萩尾先生は竹宮先生からの出禁文書によって、竹宮先生から離れるが、
むしろ、大元は増山さんではないかと思える。
増山さんが様々な映画や書籍を紹介して、少年愛を語り、2人に影響を与え、
増山さんの世界観をマンガとして成就させる竹宮先生と接近した。
そうであれば、萩尾先生が類似の作品を描いたのに危機感を抱いたのは、
竹宮先生よりも、増山さんの方がより強かったのではなかっただろうか。
言い方は悪いが、竹宮先生は増山さんの言いなりになる形で
出禁文書を書いたのではなかろうか。(私見です。)

3人の関係が崩れてから、萩尾先生は竹宮先生と連絡を断つが、
増山さんはまだ友人として自分に好意があると考え、
時々困った事があると、増山さんを頼る。
体調不良で一時入院すると、増山さんに手伝いを頼み、
大泉から短期間別のアパートに移って、そこがペット禁止だと知らされると、
飼い猫を増山さんの母親に引き取ってもらう。
結構重たい頼みを増山さんにしている。

この3人の関係性は、やはり不思議。

萩尾先生と竹宮先生は、同じマンガ家として、お互いにリスペクトが感じられる。
しかし、当時の萩尾先生は、直接作品を描かない増山さんを別物と見ていた。
まぁ、当然そうだろう。
描かない人にあれこれ偉そうな事を言われれば、気分良く無い。
最終的に竹宮先生も増山さんと離れるわけだけど、
竹宮先生にしても「ジルベール」の中で増山さんに触れる時、
否定的な見解も一部示している。
ところが、萩尾先生も竹宮先生も、頼りにするのは増山さん。
締め切りを抱えて徹夜作業をして青くなってるマンガ家達とは違って、
増山さんには色々ゆとりがあったからかもしれないが。

その後、萩尾先生が増山さんと再開し、
増山さんが泣きながら、大泉時代の事を謝罪するが、
萩尾先生は同調する事も受け入れる事もせず、ただ冷めた感情を抱く。

(続く。)