竹宮先生からの出禁文書にショックを受けて体調を崩し、
萩尾先生は東京を離れ、郊外に引っ越した。
そしておよそ半世紀の後、「ジルベール」発行で注目を浴び、体調を崩し、
騒動の収束の為に「大泉」を発行。
巻末に、マネージャー城章子さんによる記述があり、
ミッシングリンク的な役割を果たしている。
竹宮先生が、萩尾先生の脅威的な記憶力を恐れていた件。
増山さんの話で、実は、大泉に来る人達は萩尾先生が目当てだった件。
そして、萩尾先生の創作活動を守る為に、
城さんは「ジルベール」を竹宮先生の元に送り返した。
マンガの仕事に限らず、
スタッフや家政婦さんに現金や物を盗まれたというような事件は多く、
萩尾先生にとって、城さんという信頼をおけるマネージャーを得た意義は大きい。
城さんがいなければ、もっと早い段階で引退されていたかもしれない。
マンガの歴史を語る上で、萩尾先生も竹宮先生も重要な位置におられるが、
コアな評論家の筆になれば、萩尾先生が存在価値においてリードする。
しかし、BLがコミックのみならず、ドラマや映画でも世界的に伝播した、
その創設者と言っても過言ではないのが、竹宮先生と増山さんであり、
その事実はもっと知らしめられるべきだろう。
萩尾先生と竹宮先生の作品を比較すべきではない。
(個人的には、子供の頃、限られたお小遣いでどの本を買うか、
選択せざるを得ない状況があった事もあって、
プライオリティを付けなければならず、比較、選択は付きまとった。)
今回の件で、ネットで、評論家のどなたかが、
「竹宮作品は時代とともに古びるが、萩尾作品は古びない。」と評していた。
そういう否定的な記述はやめて欲しかった。
竹宮先生の「ファラオの墓」「地球へ...」等は今見ても生き生きとしているし、
逆に、萩尾先生の現代日本の学園ものは、残念ながら、最初から古びている。
「ジルベール」で大泉が再注目されたが、
萩尾先生は当時を思い出す事を嫌い、
「24年組」と一括りにされるのも良しとしなかった。
(音楽等でも、ジャンル分けは評論家の領域でしかない。)
とは言え、
「ジルベール」で竹宮先生が萩尾先生をリスペクトしていたのに対して、
「大泉」の文章の辛辣さは全編通して激しい。
竹宮先生を「かの人」と称し、作品は目にせず、一切の関わりを絶った。
(記事の最初の段落で書いたように、
小学館の日本歴史文学のコミック化の仕事で、
萩尾先生がオファーを断り、私なんぞに振ってきたのは、
竹宮先生がラインナップされていたからだと、判明した(と思う)。
「大泉」での記述は少し違うようにも読み取れるが、
かなり前の事で、多少の記憶違いがあっても不思議は無いので、
無関係ではないだろう。)
この2作を通して、竹宮先生には謝罪と歩み寄りの気持ちが伺えるが、
半世紀過ぎて尚、萩尾先生の頑なさは際立つ。
20代前半の過ちを50年経っても赦せないものだろうか。
(続く。この後、佳境に入ります。)
萩尾先生は東京を離れ、郊外に引っ越した。
そしておよそ半世紀の後、「ジルベール」発行で注目を浴び、体調を崩し、
騒動の収束の為に「大泉」を発行。
巻末に、マネージャー城章子さんによる記述があり、
ミッシングリンク的な役割を果たしている。
竹宮先生が、萩尾先生の脅威的な記憶力を恐れていた件。
増山さんの話で、実は、大泉に来る人達は萩尾先生が目当てだった件。
そして、萩尾先生の創作活動を守る為に、
城さんは「ジルベール」を竹宮先生の元に送り返した。
マンガの仕事に限らず、
スタッフや家政婦さんに現金や物を盗まれたというような事件は多く、
萩尾先生にとって、城さんという信頼をおけるマネージャーを得た意義は大きい。
城さんがいなければ、もっと早い段階で引退されていたかもしれない。
マンガの歴史を語る上で、萩尾先生も竹宮先生も重要な位置におられるが、
コアな評論家の筆になれば、萩尾先生が存在価値においてリードする。
しかし、BLがコミックのみならず、ドラマや映画でも世界的に伝播した、
その創設者と言っても過言ではないのが、竹宮先生と増山さんであり、
その事実はもっと知らしめられるべきだろう。
萩尾先生と竹宮先生の作品を比較すべきではない。
(個人的には、子供の頃、限られたお小遣いでどの本を買うか、
選択せざるを得ない状況があった事もあって、
プライオリティを付けなければならず、比較、選択は付きまとった。)
今回の件で、ネットで、評論家のどなたかが、
「竹宮作品は時代とともに古びるが、萩尾作品は古びない。」と評していた。
そういう否定的な記述はやめて欲しかった。
竹宮先生の「ファラオの墓」「地球へ...」等は今見ても生き生きとしているし、
逆に、萩尾先生の現代日本の学園ものは、残念ながら、最初から古びている。
「ジルベール」で大泉が再注目されたが、
萩尾先生は当時を思い出す事を嫌い、
「24年組」と一括りにされるのも良しとしなかった。
(音楽等でも、ジャンル分けは評論家の領域でしかない。)
とは言え、
「ジルベール」で竹宮先生が萩尾先生をリスペクトしていたのに対して、
「大泉」の文章の辛辣さは全編通して激しい。
竹宮先生を「かの人」と称し、作品は目にせず、一切の関わりを絶った。
(記事の最初の段落で書いたように、
小学館の日本歴史文学のコミック化の仕事で、
萩尾先生がオファーを断り、私なんぞに振ってきたのは、
竹宮先生がラインナップされていたからだと、判明した(と思う)。
「大泉」での記述は少し違うようにも読み取れるが、
かなり前の事で、多少の記憶違いがあっても不思議は無いので、
無関係ではないだろう。)
この2作を通して、竹宮先生には謝罪と歩み寄りの気持ちが伺えるが、
半世紀過ぎて尚、萩尾先生の頑なさは際立つ。
20代前半の過ちを50年経っても赦せないものだろうか。
(続く。この後、佳境に入ります。)
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