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マンガ家Mの日常
朝刊のスポーツ欄、
厳し過ぎる指導の為にその競技を辞めてしまった少女の記事が載っていました。
連日の厳しい練習や体罰もさることながら、
失敗して、チームが次の大会に進めなかったような時の
コーチからその子への責任の向け方がハンパ無くって、重圧が酷かったみたい。

どの競技でも、オリンピックやプロを目指すとなれば、
常識を超えた鍛錬が求められるものだから、
この場合の指導者が全部間違ってたとも言い切れない。
それこそ、プロになったら、大勢の生活を背負う訳だからね。

いつも思うのは、
競技者として上を目指すのと、レクリエーションとして楽しむのと、
棲み分けが出来れば良いのに、ってとこ。
でも、予算や施設が限られてるから、そこまで進まない。

中学や高校の部活って、大会に出て勝つ事を目標にやってるから、
そのスポーツが好きでも、ちょっと下手だと排除されちゃう。
スッゴクイヤな気分。
何が爽やかスポーツマンシップだっての、って、子供の頃からずっと思ってた。

ジムの先生も、最近は年齢とともに、加えて運営の経済的側面を考えてか、
随分丸くなって来たけど、
もっと若い頃は、そのスポーツ至上主義みたいなところがあって、
付いて行くのが時々シンドかった。

テニスのコーチもちょっとそう言うところがある。
コーチとして、練習生を教えて上手くさせるのが仕事だから、なんだけど、
時々、ちょっと強引ではないかと思える時がある。

専門の指導者の人達って、その競技に人生を賭けて来たのだから、
真剣さの度合いが、一般人とは全く違って当然なのだ。

自分を振り返っても、マンガを仕事として真剣にやって来てる訳だけど、
マンガなんてのは読者からしても、一瞬笑って終わりの暇つぶしみたいなもの。
雑誌なんて、1度読んだらゴミ箱行き。
そこには大きな気持ちの落差があるけど、そう言うもんだから受け入れるしか無い。

スポーツの指導者の人達って言うのは、
現役時代には猛特訓して来て、高い結果は残したものの、
王、長嶋、イチローレベルには到達出来ず、
栄光と挫折の狭間の微妙な感情を抱いている。

クラシック音楽でも同じ。
もの凄い競争率を勝ち抜いて演奏家を目指しても、演奏家としては食べて行けず、
殆どは指導者の側に回る。
指導者になれるって言うだけでも、もの凄いキャリアが必要とされる。
でも、演奏家としては認めてもらえないし、
出来ればかつての自分と同じような、
プロを目指す生徒を本格的に指導したいのだけど、
そう言う生徒にもなかなか巡り合えず、
すぐに辞めちゃう子供のレッスンばかり。

プロの立場からすると、
次の世代の人達に目覚ましい成果を発揮してもらいたい、と思う。
モーツァルトやピカソ、マイケル・ジョーダンの超人技の感動と興奮を見たい。
スポーツでは、オリンピックの金メダリストを願うのであれば、
中国の養成機関のように、幼少期から子供を選抜して、特訓を重ねる必要がある。
音楽は3歳くらいからスタートしなければならない。
絵だってね、実際はそれなりの鍛錬が必要。

でも、絵でも音楽でもスポーツでも、
それをまず楽しいと思う事が、その人にとっての財産だと思う。
だから、「絵を描きたい。」と言ってくれる人がいれば、
「他人の評価は気にせず、絵を描くのを楽しむ事。」と話す。
プロを目指すんならそうはいかないけどね。

予算の問題、指導者の考え方の幅、そう言う事が大事になって来る。
プロを目指すタイプ、レクリエーションとして楽しむタイプ、
それらが共存出来るのが望ましい。

とにかく、楽しく無ければ、好きでいられないし、続かない。
好きな事が楽しく無くなってしまって辞めなければならなくなるのは
あまりにも悲しい。


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