マーク・ラファロ主演の映画。
おや、またマーク・ラファロか。続く時は続く。
タイトルだけ見ると、ラブコメディのようなイメージだけど、
依存症の人達の日常が淡々と描かれた社会派の作品だった。
このブログの映画コーナーでセックス依存症の話が出てくるのは3回目。
日本ではあまり聞かれないけど、欧米では多いのかな。
おっと、日本でも浮気癖が治らない人も結構いるか。
依存症と言っても麻薬では無いので、すぐさま生き死にに直結するものでは無い。
それだけに、周囲の人からは軽蔑の眼差しで見られてしまう。
職場や家族、恋人との人間関係もギクシャクして上手くいかない。
たかだかセックス依存症、と思ってしまうのだが、
悩みを抱えた人達は自己嫌悪から自殺もしかねないようにさえ見える。
アダムは依存症克服の為、5年間節制していた。
フィービーという女性と知り合って、
ただのセックスの相手というのでは無く、結婚も視野に入れて、
良いパートナーとして付き合えるよう、慎重に接していくが、
フィービーは積極的なタイプで、時々強引に迫ってくる。
依存症と知らされても、自分のペースでやってくる傲慢さ。
フィービーは乳癌手術を経験したせいか、極端な健康オタク。
アダムから、フィービーもまた完璧では無いのだと指摘される。
完璧主義や節制も、度を越せばある意味依存症なのではなかろうか。
かなりスレンダーなグウィネス・パルトローはそのものに見える。
あ、知らなかったんだけど、実生活ではクリス・マーティンと離婚してたのね。
あんなにベタベタだったのに。
アルコールや麻薬の依存症だった人達も出て来る。
セラピーに通って克服したつもりでも、いつぶり返すかわからない。
ひどかった時期を知る家族は、信じてあげようとしつつも、
何かあるとつい疑ってしまう悲しさ。
アルコールや麻薬は一度依存症になってしまうと一生治る事は無い。
日々の意識の持ちようだけ。
セックス依存症はどうなんだろう。
家族との関わりからそうなってしまった人も描かれているけど、
アダムの場合は先天的なのかな?
一度タガが外れたら見境無しになる様子がやっぱり怖かった。
フィービーとケンカ別れして、その後仲直りはするものの、
恋人関係に戻れた風には見られなかった。
映画は依存症の会のシーンから始まり、依存症の会のシーンで終わる。
原題は「Thanks for Sharing」で、直訳すると「共同負担をありがとう」。
依存症の会の世話役や仲間は、仲間に何かあったり、
不安があったりして電話してくると、何をおいても駆けつける。
その助け合い精神への感謝。