刺激的な問題作を手掛けるフランソワ・オゾン監督作品。
高校で文学を教える教師ジェルマンは、かつて作家志望だった夢も破れ、
才能を持て余しているような、鬱々とした日々を過ごしている。
ある時、「週末にした事」という課題で作文を書かせたところ、
凡作の山の中に、目を引く作文があった。
ジェルマンはその生徒クロードに、個別の指導を始める。
母親は家出、父親は下半身麻痺で介護が必要。
恵まれない環境で育ったクロードは、平凡な同級生のラファの平凡な家庭を
中産階級と蔑んだ言い方をしながらも、憧れを抱いて接近した。
クロードはラファの家で過ごした時間について作文に書き続ける。
凡庸なラファ、エネルギッシュな風貌で、同名の父親のラファ、
インテリアが好きで、中産階級そのものだが、美しさも秘めた母親エステル。
侮蔑的な目線で一家を観察し、虚実入り混じったかのような物語に仕立て上げる。
ジェルマンは作文に挑発的なイメージを受けて、魅了されてゆく。
クロードとジェルマンは、物語をどう構成するか、表現するかを話し合ううち、
観察者であった筈のクロードは、一家を思いのままに動かそうという
妄想的な思いに囚われる。
エステルを誘惑し、キスを交わす。
クロードの作文にのめり込んでしまったジェルマンは、
クロードに便宜を図るなどした行為が発覚して、失職。
一緒にクロードの作文に熱中していた妻とも仲違いして別れてしまう。
妻は、ジェルマンがクロードに性的関心があるかと疑うが、
それよりは、作家の道に挫折した自分の才能を投影させる対象だったと言える。
ジェルマンは主に私小説的な文学の魔性に囚われている。
クロードは、不遇な家庭と退屈な高校生活の中で、
唯一作文の才能を認めてくれたジェルマンが心の拠り所ともなっていて、
評価され、ジェルマンを引きつけておける作文を書きたいと願っている。
ジェルマンにとっても、クロードにとっても、ラファの一家は
自分達が神のように支配し振る舞う、小説の実験的題材でしかなかった。
クロードは作文以外の授業に情熱を持てず、退学。
ジェルマンは仕事も家庭も失って呆然としている。
しかし二人は、共同体のように、再び観察と作文の世界に没入してゆく。
それならそれで良かったのかな。
Wiki を見ると、「サスペンス映画」と紹介する一方で
「コメディ・ドラマ」とも紹介されている。
そういうやや異なった見方ができる作品だって言う事か。
私小説を書く時、実体験を基にしながらも、
小説として構成し、読者に受けるように脚色していく。
その場合、作者は虚構の世界に我が身を置く。
記憶は曖昧になり、混濁し、自作を事実かのように認識してしまいかねない。
今作は、そういう心理からやがて生まれる悲劇なのかなと思ったけど、
思わせぶりな場面を見せつつも、収まるべきところに収束していく。
作家は自作の世界にのめり込みながらも、観察者としての自分は見失わない。
幸福な一家の一員に成ろうとして成れず、
排除されたクロードの境遇は悲劇的なようでもあるが、
作家は常に第三者としての位置づけを運命づけられている。