1960年代のアメリカ、ノースカロライナを舞台にした
ベストセラー小説の映画化作品。
1945年、カイアはノースカロライナの湿地地帯で暮らす一家の元に誕生。
1953年、父親の暴力に耐えかねた母親が家を出ると、
兄姉達も続いて家を出て、その後父親もいつの間にか失踪。
幼いカイアだけが取り残された。
湿地でムール貝を採取し、雑貨店で買い取ってもらって日々の生活費を得る。
学校では貧しい身なりを馬鹿にされて、すぐに行かなくなってしまった。
「湿地の娘」と揶揄されつつ、孤独な生活を送る。
1962年、兄の友達のテイトと再会し、親しくなる。
テイトが書物を持ち運び、指導すると、カイアは旺盛な知識欲で吸収して行く。
テイトは海老漁を営む父親の貧しい生活から逃れるべく、大学に進学。
休暇の時にカイアと会う約束をしたが、戻って来なかった。
テイトの裏切りに心破れたカイアに、裕福な家庭の青年チェイスが接近。
恋人関係に発展するが、チェイスには親が決めた婚約者がいた。
カイアが別れようとすると、チェイスは暴力を振るうようになる。
1969年、テイトが大学を卒業し、町に戻って、生物研究所に勤務する。
カイアはすぐにはテイトを許す気持ちにはなれなかったが、
テイトの勧めで出版社に送った湿地の生物のスケッチが書籍化され、
十分な収入を得られるようになった。
ある日、古い物見櫓の下でチェイスの遺体が発見される。
カイアがチェイスを突き落として殺したとして逮捕収監され、裁判になる。
複雑な生い立ちのカイアに同情したベテラン弁護士ミルトンが弁護につき、
無事、無罪を勝ち取る。
カイアは関係を修復したテイトと結婚し、幸せな人生を送る。
カイアが年老いて寿命が尽き、亡くなった後、テイトが遺品を整理していると、
スケッチブックの中に、チェイスの肖像画と、
事故現場から持ち去られたとされていた貝殻のネックレスが封じられていた。
湿地帯の生物がそうであるように、時には獲物の側が捕食者を殺すのだと、
スケッチの中に記されていた。
テイトはカイアがチェイスを殺害したと気づく。
美しい湿地帯の景色を見るだけでも、今作の価値があるかもしれない。
しかし、映画そのものにはあちらこちらにツッコミどころがあるような。
幼い頃から一人暮らしを余儀なくされたカイアなんだけど、
身なりも綺麗で、傷ひとつ無く、美しく成長している。
そりゃちょっと無理がある。
心優しい雑貨店夫妻の援助はあったかもしれないけど。
そして、美しいカイアにはイケメンのテイトとチェイスだけが接近。
テイトの指導で高度な知識を身につけ、スケッチの才能も発揮。
本はあっという間にベストセラー。
色々と設定が御都合主義なメロドラマ仕立て。
最終的に考えさせられるのは、
カイアの無実を信じて結婚したテイトが、
人生の末期になって、殺害の事実を知って、どう思うのか、という点。
裏切りの薄気味悪さに、背筋に嫌な汗が流れる感じ。
カイアは父親の暴力で家庭が崩壊した過去もあって、
自分の幸せを守る為に、短絡的にチェイスを排除した。
それは、一般人の常識の外で生きて来たカイアの発想。
カイアは、やはり「湿地の娘」だった。
チェイスがね、婚約者がいた事を隠していて、
要するにカイアには愛人である事を求めたわけなんだけど、
本人が言う通り、裕福な家庭の事情に縛られての事で、
カイアを好きなのは間違いなかった。
だってね、カイアが作った貝殻のネックレスを肌身離さず着けてたんだから。
単にチェイスが暴力的なクズ男というだけだとしたら、
ネックレスのエピソードと矛盾する。
そこは、原作ではどうまとめているのだろう。
悩みがあると1人で物見櫓に来ていたチェイス。
粗末な貝殻のネックレスを大事にしていたチェイス。
色々同情してしまう。
暴力的とされているけれど、
知り合って間もなくの頃にセックスを拒んだカイアに対して、
決して無理強いはしなかった。
テイトの小賢しさもちょっと引っかかるよねぇ。
タイトルの「ザリガニが鳴くところ」とは、
母親がカイアに「危険が迫ったら、ザリガニが鳴くところまで逃げなさい。」
と言っていた事による。
これは、よくわからないけど、湿地帯特有の含みがあるのかな。
ネットで検索すると、原作でテイトが
「茂みの奥深く、生き物たちが自然のままの姿で生きている場所」
と言う意味だと説明しているらしい。
それで、カイアは自然の生存本能に従ってチェイスを殺しちゃったのね。
映画では、殺害手段等について明かされていないけど、
実際は検察側の主張の通りだったのかな。
田舎町の女性が暴力的な男性を排除すると言う主旨では、
「フライド・グリーン・トマト」を思い出した。
ベストセラー小説の映画化作品。
1945年、カイアはノースカロライナの湿地地帯で暮らす一家の元に誕生。
1953年、父親の暴力に耐えかねた母親が家を出ると、
兄姉達も続いて家を出て、その後父親もいつの間にか失踪。
幼いカイアだけが取り残された。
湿地でムール貝を採取し、雑貨店で買い取ってもらって日々の生活費を得る。
学校では貧しい身なりを馬鹿にされて、すぐに行かなくなってしまった。
「湿地の娘」と揶揄されつつ、孤独な生活を送る。
1962年、兄の友達のテイトと再会し、親しくなる。
テイトが書物を持ち運び、指導すると、カイアは旺盛な知識欲で吸収して行く。
テイトは海老漁を営む父親の貧しい生活から逃れるべく、大学に進学。
休暇の時にカイアと会う約束をしたが、戻って来なかった。
テイトの裏切りに心破れたカイアに、裕福な家庭の青年チェイスが接近。
恋人関係に発展するが、チェイスには親が決めた婚約者がいた。
カイアが別れようとすると、チェイスは暴力を振るうようになる。
1969年、テイトが大学を卒業し、町に戻って、生物研究所に勤務する。
カイアはすぐにはテイトを許す気持ちにはなれなかったが、
テイトの勧めで出版社に送った湿地の生物のスケッチが書籍化され、
十分な収入を得られるようになった。
ある日、古い物見櫓の下でチェイスの遺体が発見される。
カイアがチェイスを突き落として殺したとして逮捕収監され、裁判になる。
複雑な生い立ちのカイアに同情したベテラン弁護士ミルトンが弁護につき、
無事、無罪を勝ち取る。
カイアは関係を修復したテイトと結婚し、幸せな人生を送る。
カイアが年老いて寿命が尽き、亡くなった後、テイトが遺品を整理していると、
スケッチブックの中に、チェイスの肖像画と、
事故現場から持ち去られたとされていた貝殻のネックレスが封じられていた。
湿地帯の生物がそうであるように、時には獲物の側が捕食者を殺すのだと、
スケッチの中に記されていた。
テイトはカイアがチェイスを殺害したと気づく。
美しい湿地帯の景色を見るだけでも、今作の価値があるかもしれない。
しかし、映画そのものにはあちらこちらにツッコミどころがあるような。
幼い頃から一人暮らしを余儀なくされたカイアなんだけど、
身なりも綺麗で、傷ひとつ無く、美しく成長している。
そりゃちょっと無理がある。
心優しい雑貨店夫妻の援助はあったかもしれないけど。
そして、美しいカイアにはイケメンのテイトとチェイスだけが接近。
テイトの指導で高度な知識を身につけ、スケッチの才能も発揮。
本はあっという間にベストセラー。
色々と設定が御都合主義なメロドラマ仕立て。
最終的に考えさせられるのは、
カイアの無実を信じて結婚したテイトが、
人生の末期になって、殺害の事実を知って、どう思うのか、という点。
裏切りの薄気味悪さに、背筋に嫌な汗が流れる感じ。
カイアは父親の暴力で家庭が崩壊した過去もあって、
自分の幸せを守る為に、短絡的にチェイスを排除した。
それは、一般人の常識の外で生きて来たカイアの発想。
カイアは、やはり「湿地の娘」だった。
チェイスがね、婚約者がいた事を隠していて、
要するにカイアには愛人である事を求めたわけなんだけど、
本人が言う通り、裕福な家庭の事情に縛られての事で、
カイアを好きなのは間違いなかった。
だってね、カイアが作った貝殻のネックレスを肌身離さず着けてたんだから。
単にチェイスが暴力的なクズ男というだけだとしたら、
ネックレスのエピソードと矛盾する。
そこは、原作ではどうまとめているのだろう。
悩みがあると1人で物見櫓に来ていたチェイス。
粗末な貝殻のネックレスを大事にしていたチェイス。
色々同情してしまう。
暴力的とされているけれど、
知り合って間もなくの頃にセックスを拒んだカイアに対して、
決して無理強いはしなかった。
テイトの小賢しさもちょっと引っかかるよねぇ。
タイトルの「ザリガニが鳴くところ」とは、
母親がカイアに「危険が迫ったら、ザリガニが鳴くところまで逃げなさい。」
と言っていた事による。
これは、よくわからないけど、湿地帯特有の含みがあるのかな。
ネットで検索すると、原作でテイトが
「茂みの奥深く、生き物たちが自然のままの姿で生きている場所」
と言う意味だと説明しているらしい。
それで、カイアは自然の生存本能に従ってチェイスを殺しちゃったのね。
映画では、殺害手段等について明かされていないけど、
実際は検察側の主張の通りだったのかな。
田舎町の女性が暴力的な男性を排除すると言う主旨では、
「フライド・グリーン・トマト」を思い出した。
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