ハンガリーの映画。
カンヌ国際映画賞グランプリを始め、アカデミー賞外国語映画賞、
ゴールデングローブ賞外国語映画賞等、数々の映画賞を総ナメ。
1944年、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所には
日々続々とユダヤ人が送り込まれ、ガス室で処刑されていた。
亡くなった人達は「部品」と呼ばれ、
部品の後片付けをするのも、同胞のユダヤ人達だった。
彼らは「ゾンダーコマンド」と呼ばれ、ガス室の掃除をし、
山となった裸の遺体を焼却炉に運び、黙々と石炭をくべて焼き、灰を川に捨てる。
生き延びる為にひたすら作業に従事するが、
彼らもまた、順を追って殺される運命にある。
ゾンダーコマンドの一人、ハンガリー系ユダヤ人サウルは
ガス室から出された死体の中に少年を見つける。
少年はまだ虫の息があった。
医師が息の根を止め、その後解剖に回される事になる。
サウルは少年を自分の息子だと思い込み、医師に頼み込んで暫くの間遺体を隠し、
ラビを探して、ユダヤ教の教理に沿った埋葬を願う。
収容所では、秘密裏に暴動が計画されていた。
サウルも一員に加えられるが、少年の埋葬の事で頭がいっぱい。
ユダヤ人処刑は熾烈を極め、送られて来る人数は3倍に膨れ上がり、
焼却が追いつかない為、森で射殺されてバーナーで焼かれていた。
サウルの所属するゾンダーコマンド部隊も、交代、処刑の時期が近づいていた。
ついに暴動が勃発する。
サウルはラビだという男とともに、少年の遺体を担いで森に入る。
しかし、男はラビではなく、親衛隊の追跡で、埋葬出来ないまま川に逃げ込み、
少年は流されてしまう。
他のゾンダーコマンド達と合流し、山小屋で一休みすると、
偶然現れた近所の少年が山小屋を覗き込み、サウルと目が合う。
その直後、親衛隊が来て、怯えた少年は走り去り、山小屋に銃声が響いた。
...どこまでも暗い。
ガス室での処刑はあまりにも有名だけど、
その死体を処理させられていた人々については考えが及ばなかった。
精神状態を思うと、言葉も無い。
涙などはとうに枯れ果て、
心の何かをシャットアウトして作業するしか無いのだろう。
精神が破綻しかけたサウルが唯一すがったのが、思い出の中の息子の姿だった。
おそらくは、妻と共に殺害され、そのまま引き離されてしまったのだろう。
山小屋で見た、見ず知らずの少年の姿に、一瞬の幸福感を取り戻して微笑む。
カメラは終始サウルに接近していて、周囲はぼやけて描かれる事が多い。
それはサウル自身が世界をそう捉えているという事なのだろう。
感情にも五感にも蓋をする。
同時に、描かれない事で、観客は自らのイマジネーションを強め、心の目で見る。
ガス室から響く阿鼻叫喚が辛い。
町山智浩さんの解説はもっとしっかりしていて、
大半のゾンダーコマンドが殺害された中で、決死の思いで残した記録と、
僅かに残った人々がこの惨状を世界に伝えた、
我々はその歴史の事実を心に刻み、語り継ぐ事が大切だという事でした。
サウルが息子を焼却に回させずに埋葬しようとするのは、
ユダヤ教による死者の復活が、歴史の記録を象徴していると考えられるそうです。
カンヌ国際映画賞グランプリを始め、アカデミー賞外国語映画賞、
ゴールデングローブ賞外国語映画賞等、数々の映画賞を総ナメ。
1944年、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所には
日々続々とユダヤ人が送り込まれ、ガス室で処刑されていた。
亡くなった人達は「部品」と呼ばれ、
部品の後片付けをするのも、同胞のユダヤ人達だった。
彼らは「ゾンダーコマンド」と呼ばれ、ガス室の掃除をし、
山となった裸の遺体を焼却炉に運び、黙々と石炭をくべて焼き、灰を川に捨てる。
生き延びる為にひたすら作業に従事するが、
彼らもまた、順を追って殺される運命にある。
ゾンダーコマンドの一人、ハンガリー系ユダヤ人サウルは
ガス室から出された死体の中に少年を見つける。
少年はまだ虫の息があった。
医師が息の根を止め、その後解剖に回される事になる。
サウルは少年を自分の息子だと思い込み、医師に頼み込んで暫くの間遺体を隠し、
ラビを探して、ユダヤ教の教理に沿った埋葬を願う。
収容所では、秘密裏に暴動が計画されていた。
サウルも一員に加えられるが、少年の埋葬の事で頭がいっぱい。
ユダヤ人処刑は熾烈を極め、送られて来る人数は3倍に膨れ上がり、
焼却が追いつかない為、森で射殺されてバーナーで焼かれていた。
サウルの所属するゾンダーコマンド部隊も、交代、処刑の時期が近づいていた。
ついに暴動が勃発する。
サウルはラビだという男とともに、少年の遺体を担いで森に入る。
しかし、男はラビではなく、親衛隊の追跡で、埋葬出来ないまま川に逃げ込み、
少年は流されてしまう。
他のゾンダーコマンド達と合流し、山小屋で一休みすると、
偶然現れた近所の少年が山小屋を覗き込み、サウルと目が合う。
その直後、親衛隊が来て、怯えた少年は走り去り、山小屋に銃声が響いた。
...どこまでも暗い。
ガス室での処刑はあまりにも有名だけど、
その死体を処理させられていた人々については考えが及ばなかった。
精神状態を思うと、言葉も無い。
涙などはとうに枯れ果て、
心の何かをシャットアウトして作業するしか無いのだろう。
精神が破綻しかけたサウルが唯一すがったのが、思い出の中の息子の姿だった。
おそらくは、妻と共に殺害され、そのまま引き離されてしまったのだろう。
山小屋で見た、見ず知らずの少年の姿に、一瞬の幸福感を取り戻して微笑む。
カメラは終始サウルに接近していて、周囲はぼやけて描かれる事が多い。
それはサウル自身が世界をそう捉えているという事なのだろう。
感情にも五感にも蓋をする。
同時に、描かれない事で、観客は自らのイマジネーションを強め、心の目で見る。
ガス室から響く阿鼻叫喚が辛い。
町山智浩さんの解説はもっとしっかりしていて、
大半のゾンダーコマンドが殺害された中で、決死の思いで残した記録と、
僅かに残った人々がこの惨状を世界に伝えた、
我々はその歴史の事実を心に刻み、語り継ぐ事が大切だという事でした。
サウルが息子を焼却に回させずに埋葬しようとするのは、
ユダヤ教による死者の復活が、歴史の記録を象徴していると考えられるそうです。
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