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マンガ家Mの日常
深夜ふと気付くと東京タワーのライトが一部点灯している。
何かのイベントか作業か。

震災から1ヶ月が過ぎて 色々な事が元に戻りつつある、
と言うか、戻されつつある。
新聞はテレビ欄が定位置に戻った。
プロ野球が開幕した。
テレビは勿論とうに番組もCMもほぼ元に戻っている。
1週間とか1ヶ月とかを目安に何もかも元通りにされていく。

それは 被災の状況とは何の関係もない。
復興作業は始められているものの、
被災者に安全や元の生活が戻った訳では全くない。
原発のトラブルは未だに進行中。

東京は被害が小さく、また、国の中心として機能を果たす役割もあるから、
被災地の人達に心を寄せながらも 自らの活動の軌道修正は早く進めたい。
それが1週間とか1ヶ月とかの区切りで動かされる。

人が亡くなった時も、49日とか何周忌とかで区切りを付けられる。
でもそれは胸の内の悲しみと呼応している訳ではない。
宗教的儀式としての決まり事のようなもの。
それで区切られる。

多分、全ての被災者の生活が元通りになるまで
日本国民全員が行動を揃えるのが 人としての本来の有り様なんだろう。
でも、それぞれの生活があって、皆自分の生活を早く元に戻したい。
その名目を1ヶ月という単位に求めた。

生活を元に戻し、経済活動を順調に回復させなければ 
十分な支援もままならない。
軌道修正は図られるべきである。
だけどおそらくその過程で 心の内も被災状況から離れて行く。

政府は勿論最後まで復興に努めていくだろうけど、
新聞とかテレビとかのメディアはいつまで支援を継続するんだろうか。
タレントさん達はどうなんだろう。
今は節電や倹約を呼びかけているけれど、
芸能人の仕事って余分な贅沢品を宣伝する事でもあるから、
自分達の利益をいずれは守りに回る。

なんだか世の中ゴマカシが多くてよくわからない。
大勢の有志が義援金を出している。
それは素晴らしい志だけど、
その人達だって 自分の生活や贅沢品までは犠牲にする気はない。
心をひとつにしようと言っていても、生活レベルまでは一緒にはしない。

普段仕事をする中で、自分を犠牲にしても
アシスタントさんの生活とかを守って来たけれど、
それを永遠に続けるのは もうシンドイ。
そりゃそうだ、支援と犠牲は違う。

考えを深めてゆくにつれ、
自分が生きる道に迷っている事に思い至らされる。
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