昨日、作曲のゴーストライター問題の過中の人物が記者会見を行った。
もの凄い数の報道陣が詰めかけてて、話題性の大きさを感じた。
...ゴーストライター如きの問題で、なんでそんなに大騒ぎするんだか。
少し前にこの問題についてブログに書いていて、
それから暫く忙しくて、キッチリものを考える余裕が無かったんで
中途になってしまってた。
近々なんとか頑張って書きます。
その前に、今回の会見についてひと言二言。
雑用をしながらダイジェストで見たんで、正確に全体を把握してはいないけど、
なんか、S氏の言ってる事、ボカしてあちこち嘘は織り交ぜられてるんだろうな、
という印象は持った。
でも、個人的にはやはり、ゴーストライターで何で世間が大騒ぎするの?
という感想は変わらない。
依頼者との契約通り作品を提供したんだから、プロはそれが全て。
ひとり、熱の入った質問者がおられた。
どこの記者かよくわからないけど、
S氏と問題のあった義手のヴァイオリン少女と親交があったらしくて、
怒りがこみ上げていたんだろう。気持ちは分からんではないけど。
ただ、この方の言う事も微妙だった。
S氏が少女の義手について、記者の質問に応える形で、
ホールの観客に感動してもらおうという意図があった点を語ると、
記者は「少女の演奏で感動してもらうんじゃないのか。」と返して来た。
...だったら、その会見場にいる記者全員にその言葉をぶつけたい。
耳がどうとか、ゴーストライターがどうとか、どうでも良い事なんじゃないの?
それから記者は「(少女を利用して)貴方が有名になりたかったんじゃないのか。」
といった事も発言していた。
..こういう発言にはウンザリさせられる。
こういう事を言う人こそ、作品制作の真実を何も理解しておらず、
有名になるかならないか、そればかりが大事だと考える俗物だ。
作品制作の醍醐味、恍惚感は、真剣に制作に取り組んで成し遂げた者のみが知る。
音楽や美術、その他様々な作品制作活動は、
作者がそのジャンルが好きで好きで、
それしか出来ないからひたむきに打ち込んでいるもの。
成果のひとつとして、世間に認められたい、正当な対価が欲しい、とは思う。
でも、それは、後付けに過ぎない。
作品制作時にそんな事を思ってたら、作品なんて仕上がらない。
どうしたら自分が納得出来て、鑑賞者の心に響く作品になるか、それに尽きる。
音楽や美術でお金を稼げているのは何万分の1の確率で、それ以外は食うや食わず。
一生アルバイト的な仕事で生活を支えている。
何故そうまでして作品作りをするかと言えば、ただ、それが好きだから。
有名になりたい、お金が欲しい、とは当然思うけど、
それは、そうならないと制作活動の次の段階に進めないから。
有名にならないとお金は入って来ない。
お金が入らないと制作を諦めるしか無くなる、そう言う事。
また、その上手い具合の中盤で、
さほどお金は入らなくても良いから、自由に制作したい、
なんていうのは、まず成り立たない。
成功するか、苦難に塗れるか、そのどっちか、という世界なのだ。
制作活動の一環として、有名になりたいと思ったとして、それが何故悪い?
芸術は幾多の作家の犠牲の上に成り立っている。
鑑賞者は時にはそこにも目を向けるべきだ。
もうひとつ、些細な事だけど、気になったので書いておく。
記者によれば、S氏は少女に対して高圧的な言動が度々あったとの事。
でもね、そういうのは師弟関係では当然の事。 何を今更って感じ。
自分の方針に不満があるなら辞めろ、なんて事は誰だって言う。
そんな事で騒いでたらキリが無い。 バカみたい。
それくらい乗り越えられないなら、そこまでって事。
S氏の問題は難聴を大袈裟に捕えて障害者としての保護を得ていた事、それだけ。
しかるべき法的手続きを経て自治体に謝罪し、補助金等を返却すれば
それでおしまい。
S氏の嘘やゴマカシに何らかの問題はあったとしても、
ここまで社会的に大騒ぎされる事では無いように思う。
多くの記者達は、自分達に鑑賞眼が無く、恥をかかされたように感じて、
そのストレスをS氏にぶつけているように見える。
もの凄い数の報道陣が詰めかけてて、話題性の大きさを感じた。
...ゴーストライター如きの問題で、なんでそんなに大騒ぎするんだか。
少し前にこの問題についてブログに書いていて、
それから暫く忙しくて、キッチリものを考える余裕が無かったんで
中途になってしまってた。
近々なんとか頑張って書きます。
その前に、今回の会見についてひと言二言。
雑用をしながらダイジェストで見たんで、正確に全体を把握してはいないけど、
なんか、S氏の言ってる事、ボカしてあちこち嘘は織り交ぜられてるんだろうな、
という印象は持った。
でも、個人的にはやはり、ゴーストライターで何で世間が大騒ぎするの?
という感想は変わらない。
依頼者との契約通り作品を提供したんだから、プロはそれが全て。
ひとり、熱の入った質問者がおられた。
どこの記者かよくわからないけど、
S氏と問題のあった義手のヴァイオリン少女と親交があったらしくて、
怒りがこみ上げていたんだろう。気持ちは分からんではないけど。
ただ、この方の言う事も微妙だった。
S氏が少女の義手について、記者の質問に応える形で、
ホールの観客に感動してもらおうという意図があった点を語ると、
記者は「少女の演奏で感動してもらうんじゃないのか。」と返して来た。
...だったら、その会見場にいる記者全員にその言葉をぶつけたい。
耳がどうとか、ゴーストライターがどうとか、どうでも良い事なんじゃないの?
それから記者は「(少女を利用して)貴方が有名になりたかったんじゃないのか。」
といった事も発言していた。
..こういう発言にはウンザリさせられる。
こういう事を言う人こそ、作品制作の真実を何も理解しておらず、
有名になるかならないか、そればかりが大事だと考える俗物だ。
作品制作の醍醐味、恍惚感は、真剣に制作に取り組んで成し遂げた者のみが知る。
音楽や美術、その他様々な作品制作活動は、
作者がそのジャンルが好きで好きで、
それしか出来ないからひたむきに打ち込んでいるもの。
成果のひとつとして、世間に認められたい、正当な対価が欲しい、とは思う。
でも、それは、後付けに過ぎない。
作品制作時にそんな事を思ってたら、作品なんて仕上がらない。
どうしたら自分が納得出来て、鑑賞者の心に響く作品になるか、それに尽きる。
音楽や美術でお金を稼げているのは何万分の1の確率で、それ以外は食うや食わず。
一生アルバイト的な仕事で生活を支えている。
何故そうまでして作品作りをするかと言えば、ただ、それが好きだから。
有名になりたい、お金が欲しい、とは当然思うけど、
それは、そうならないと制作活動の次の段階に進めないから。
有名にならないとお金は入って来ない。
お金が入らないと制作を諦めるしか無くなる、そう言う事。
また、その上手い具合の中盤で、
さほどお金は入らなくても良いから、自由に制作したい、
なんていうのは、まず成り立たない。
成功するか、苦難に塗れるか、そのどっちか、という世界なのだ。
制作活動の一環として、有名になりたいと思ったとして、それが何故悪い?
芸術は幾多の作家の犠牲の上に成り立っている。
鑑賞者は時にはそこにも目を向けるべきだ。
もうひとつ、些細な事だけど、気になったので書いておく。
記者によれば、S氏は少女に対して高圧的な言動が度々あったとの事。
でもね、そういうのは師弟関係では当然の事。 何を今更って感じ。
自分の方針に不満があるなら辞めろ、なんて事は誰だって言う。
そんな事で騒いでたらキリが無い。 バカみたい。
それくらい乗り越えられないなら、そこまでって事。
S氏の問題は難聴を大袈裟に捕えて障害者としての保護を得ていた事、それだけ。
しかるべき法的手続きを経て自治体に謝罪し、補助金等を返却すれば
それでおしまい。
S氏の嘘やゴマカシに何らかの問題はあったとしても、
ここまで社会的に大騒ぎされる事では無いように思う。
多くの記者達は、自分達に鑑賞眼が無く、恥をかかされたように感じて、
そのストレスをS氏にぶつけているように見える。
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