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マンガ家Mの日常
昨日の新聞の読者投稿欄。
障がいを持つ子供が小学校入学にあたって、
学校側は支援学級を勧めたが、母親である投稿者は、普通学級を希望した。
それまで子供が沢山の友達に囲まれて過ごして来た事から、
小学校でも、友達がいる環境を望んだ。
支援学級に行くと、その子1人になってしまう。

この何年かに渡って、フィリップとお嬢さんの様子を見て来たので、
今回の投稿には少し複雑な思いが湧く。

フィリップもお嬢さんを普通学級に通わせた。
障がいがあっても、普通学級に通う権利があり、サポート職員も付けてもらえる。
アメリカと日本、また、日本でも地域によって違いがあるかもしれない。

障がいのある子供が普通学級に通う事で、健常児も様々な学びを得られる。
互いにプラス面がある。

しかし、やはり、疑問が残る。

普通学級に子供を通わせるのは、
我が子が普通であると思いたい、親のエゴも潜んでいるのではなかろうか。

人権は全ての人に平等にある。
その意味においては、障がいのある無しに関わらず、皆が普通の人間。

でも、理論で障がいは消えない。

数年前、フィリップの自宅でお嬢さんに会った頃、
彼女は靴紐が結べず、食事もまともに出来ず、
トイレの水を流すのさえも忘れていた。
昨年末再会した時も変わらず、
外出の度にフィリップが彼女の身支度を整え、
食事の度に食べ物をひと口サイズに切り分け、
トイレの水を気にかけていた。
部屋の片付けは全く出来ない。
食事すれば毎回テーブルや服を汚してしまう。
彼女は自分では身の回りの事を何ひとつ出来ない。
フィリップは愛情をもって世話をしていたが、
将来への不安も隠しきれず、常に大きなストレスを抱えている。

その様子を見るにつけ、
何故お嬢さんが幼い頃に専門の指導を受けさせなかったのだろうと考えてしまう。
障がいの程度によっては、指導しても出来ない事も多々あるだろうけど。

支援学級がどの程度役に立つか、それも判断の難しいところではあるかもしれない。
でも、障がいに応じた専門の指導は必要。それは間違いない。

我が子に子供らしい生活を送らせてあげたいと、親が願う気持ちは分かる。
でも、そういう親達は、
まだ短い年月でしか我が子を捉えられていないのではなかろうか。
大人の年齢になってからの人生の方が、子供時代の何倍も長い。
どういう子供であるかよりも、
どういう大人になるか、
それを考えて指導方法を選択するべきではないだろうか。

新聞の投書者のお子さんの障がいの具体的状態は分からない。
サポートがあれば、普通学級で就学可能なのかもしれない。
でも、その投稿で、
障がい児を普通学級に通わせるのが正しい事のように受け止めるのは、
逆に子供の可能性を潰してしまうリスクもある。

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