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マンガ家Mの日常
最近、特に、人との会話が楽しくない。
と言うより、それは「会話」ではない。

一方的に自分の話をひたすら続けるタイプが増えたような気がする。

悩み事、或いは嬉しい出来事があって自慢したい、
そういう話があれば、友人としてきちんと受け止める。
でも、それが常態化して、
毎回そういう話の仕方で構わないのだと思って話してこられると、ややシンドイ。
こっちはね、楽しくて聞いてる訳じゃないのよ。
そういう話、楽しい訳無いじゃん。

テーマに於いて、持論を述べる。
それは皆でやる事。
でも、人の意見も何もほったらかしで、演説状態にはまる人も多い。
それは明らかに「会話」ではない。
「演説」が好きな人なのね。
でも、こっちは望んで聴衆になった訳じゃない。

会話のつもりが、
ただお互いの持論の応酬になってるだけと感じられる場面が多い。
いつも思うのだけど、それは、
相手の話に合わせる事が出来ない人が多いから。

相手の話の意図や流れを汲み取って、
それに合わせて返事したり質問を挟んだり、そうやって相手の話を広げていく、
そうした心配りが出来る人を見かけない。
実はそれはとても難しい事だから。

相手のフィールドで話に応じるのは、完全アウェイ。やはり話しづらい。
知識の無い話題だと、話せる事が無い。だから何も話さない。
対応力や創造力、共感力が不足しているのだ。
にも関わらず、「そんな話興味無いから。」と上から目線で切り捨てる傲慢さ。

共通項があれば良いかと言うとそうでも無くて、強引な人はやはり強引。

周囲を置き去りにして延々持論を述べたてる人、
長く黙っている大人しい人への配慮が無い人、
それは、相手に何か伝えようとしているのでは無く、
ただ自分のストレスをぶちまけているに過ぎない。

大きな声で話し続ける人に対して、
こちらも大声で対抗すれば良いのかもしれないけど、
更なる大声で潰されて、場がうるさくなるだけ。
諦めるしか無い。

受け答えを感じられずに一方的に話すのもまた虚しい。
相手の無言の圧力を感じる時、話す気力は無くなる。
その状態が先に予見出来ると、もう話さない。
会話はキャッチボール。
相手がボールを受けて返球しなければ、こちらも返球出来ず、終わる。

会話のやり取りが成立しない時、
何の為に人と会うのか、それすら疑問に感じてしまう。

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