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マンガ家Mの日常
プロットが少しずつ組み上がって来たけど、
今朝の時点で、ヤマ場が見当たらなくて、立ち往生。
こんな時どうするかって言うと、布団被って沈黙。
傍から見りゃね、サボって寝てるようにしか見えんだろうけど、
こうやって外界をシャットアウトする事によって、場面に集中出来るの。
だから、そこんとこは理解して。

頭から布団被ってじっとしてると、ボンヤリとシーンが浮かんで来る。
何となくプロットの要が見えて来た。
で、少し眠くなる。

改めてクロッキー帳を開いて書き込んでみて、エピソードの配分をいじってみると
ヤマ場が何となくわかって来た。
これなら何とかなるかもしれない。

もう少し調整が必要。

ドラマとか映画とかを見ればわかるように、
物語にはほぼ決まって、起承転結があって、
全体の中の後半部分に大きなヤマ場が来る。
「CSI」とか「コールドケース」とか、警察もののドラマは決まって
オープニングタイトル含めて36分経過した時点で
追いつめられてるヤツが真犯人。
それ以前の時間帯で犯人っぽく扱われるヤツがいても、
そいつじゃなくて、もう一枚裏があって、36分に真犯人登場。
それが刑事物の黄金比率なんだね。

45分くらいのドラマで、36分に最後のヤマ場があるって事は、
大体全体の80%くらい話が進んだとこって事になる。
ハーレクインは125ページだから、丁度100ページ目か。

ところが、小説の方はそう言うバランスになってなくて、
結局のところベッドシーンがヤマ場って感じ。
ロマンス小説のスタイルとしては致し方ない。
でも、マンガになるとそうもいかなくて、
出来事と感情の高まりが最もリンクしたところがヤマ場と言える。
それがベッドシーンであっても良いんだろうけど、
ハーレクインの王道のパターンだと、
ふたりがベッドインしてても、それは肉欲の感情が主体で、
実は「彼は私のことを愛してはいない。」なんてわだかまりを抱えてたりする。
それでは本当のクライマックスとはならない。

だもんで、マンガでは別の切り口が重要になって来る。
全体をよく見返して、セックス以外の心理的ポイントを探す。
そこが上手く流れが出来たらプロットの完成と言える。


何でだか今頃「マイ・ビューティフル・ランドレッド」をTVで放映している。
もう28年も前の映画なのかぁ。
今ではオスカー俳優としての風格を持つダニエル・デイ・ルイスが
少年ぽくて頼り無さげに見える。
かつての自分と重なって、切なくなる。
いや、まぁね、こっちは今も頼りない自分を引きずってるけど。








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