マンガ原稿制作でデジタル化の1番の弊害は、
緻密で写実的な表現が簡便になって、
そこで描き手も読者も思考停止してしまう事。
密な描き込みで、写真のような画面が、「上手い」絵だとされる見方は
デジタル化以前からあって、
そうした絵の中にも良い作品はあるけれど、
ただがっちり描き込んだ絵が正解だと単純に思い込んでしまうのは誤りで、
人の絵の見方を堅くしてしまう。
描き手からも読者からも、想像力を減退させてしまう。
かつて、市川ジュン先生や竹宮惠子先生が
マンガの描き方についてレクチャーされた時、
画面の中の情報量について言及しておられた。
背景もまた、場面の感情表現の一部であり、
適切な情報をいかに描き入れるか、或いは、余分を省くか。
デジタルでは、そうした思考過程をすっ飛ばし気味になる。
少し話は逸れるが、
デジタル化で緻密な画面作りが出来る分、場面場面が重くなり、
連載がやたらと長期間に伸びる傾向がある。
長期連載がダメなわけでは無いけれど、
マンガ家の負担は大きくなり、
病気等で連載が中断、未完になるケースも増えている。
(続く。)
緻密で写実的な表現が簡便になって、
そこで描き手も読者も思考停止してしまう事。
密な描き込みで、写真のような画面が、「上手い」絵だとされる見方は
デジタル化以前からあって、
そうした絵の中にも良い作品はあるけれど、
ただがっちり描き込んだ絵が正解だと単純に思い込んでしまうのは誤りで、
人の絵の見方を堅くしてしまう。
描き手からも読者からも、想像力を減退させてしまう。
かつて、市川ジュン先生や竹宮惠子先生が
マンガの描き方についてレクチャーされた時、
画面の中の情報量について言及しておられた。
背景もまた、場面の感情表現の一部であり、
適切な情報をいかに描き入れるか、或いは、余分を省くか。
デジタルでは、そうした思考過程をすっ飛ばし気味になる。
少し話は逸れるが、
デジタル化で緻密な画面作りが出来る分、場面場面が重くなり、
連載がやたらと長期間に伸びる傾向がある。
長期連載がダメなわけでは無いけれど、
マンガ家の負担は大きくなり、
病気等で連載が中断、未完になるケースも増えている。
(続く。)
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