インド映画。
所謂ボリウッド的な作品ではなく、普通のストーリーもの。
ムンバイの市井の人々が描かれている。
「リアルに描かれている。」と書こうとして、止めた。
インドのリアルを知らない。
同じアジアの仏教国同士だけど、あまり馴染みが無い。
いつか行く事はあるのだろうか?
若く美しい妻イラは料理上手で、夫の為に毎日丁寧にお弁当を作っている。
ムンバイでは昼前までに妻が作ったお弁当を、配達人が集めて、
それぞれの会社の夫の元へ届けるというシステム。
ある日の午後、配達人が返却しに来たお弁当箱を開けると、
普段あまり食べない夫が、珍しくお弁当箱を綺麗に空にしていた。
実は、お弁当が間違って他の誰かの元に届けられていたのだった。
相手はどこかの会社の経理で働くサージャンという男で、
妻に先立たれ、子供も無く、孤独に暮らしていて、早期退職を間近に控えていた。
夫は浮気していて、イラが着飾って帰宅を出迎えても目もくれない。
イラは見知らぬ誰かが自分の料理を綺麗に食べてくれたのが嬉しくなり、
次の日、お弁当箱の中に手紙を忍ばせる。
サージャンは手紙の返事を書き、配達の間違いはその後も続き、
イラとサージャンの奇妙な文通が始まった。
互いの悩みを少しずつ打ち明け、やがて惹かれ合う。
幸福を求めて、一緒にブータンに旅行に行きたいとさえ思うようにもなる。
イラは実際に会おうと伝えるが、サージャンはイラとの年齢差に尻込みして
待ち合わせのカフェに行きながら、遠巻きにイラの姿を見るだけで終わった。
サージャンはイラに黙ったまま退職してしまう。
イラは手元の装飾品等をお金に変えて、ブータンに移り住む決意をする。
気持ちを手紙に認めるが、
果たしてイラは手紙をサージャンに届けるのか、
本当にブータンに行くのか、
サージャンとの関係がどうなるのか...?
イラの物憂い表情で映画は終わる。
純愛不倫?
誰が見ても、ラストシーンには結論を迷うらしい。
他のサイトでも、意見は様々だった。
インドの社会の状況がどういうものであるか、知る事によっても見方は変わる。
個人的には、
イラは夫に対しての精神的決別をして、愛情を求めてすがるような思いは消えた。
でも、生活の色々を考えると、家を出るってのは無いんじゃなかろうか。
あったとしたら、かなり遠い未来。
「間違った電車に乗っても、やがては正しい場所に着く。」と言うセリフがあるが、
それは、イラの人生の旅がまだまだ間違った電車の中に長くいることを
示唆しているように思う。
ラストのシーンを見ると、サージャンは年齢の事もあって、
諦めがついているかのように見える。
別の街に引っ越す決意をしながら、また戻って来てしまうのは
含みを持たせた感じではあるから、
イラとサージャンは再びの奇跡のような偶然で出会うのかもしれない。
どうなるにせよ、観客はイラとサージャン、それぞれのささやかな幸せを
素直に願ってあげられる。
お弁当の集配システムを扱った点に独自性がある。
食事って人生が現れるね。
サージャンの後任になる青年は、孤児で、やっと結婚を認められたばかり。
相手の女性も働いて忙しく、お弁当は作ってもらえなくて、
いつもバナナやリンゴを買って持って来る。
帰りの電車の中で、書類をまな板代わりに野菜を切って夕食の準備をする。
ムンバイの人達って、そうなの?
やたら人懐こくて、ちょっと調子が良い感じが最初はウザかったけど、
サージャンも次第に打ち解けて、遂には親戚代わりに結婚式の後見人まで務める。
街の人達は決して豊かでは無いが、日々のささやかな幸せを生きている。
好みを知らせてくるサージャンに合わせて、塩加減を調整したり、
好物の茄子料理を作ってあげたり、
食事を通してささやかな愛情が交換される。
食事って、大事。
所謂ボリウッド的な作品ではなく、普通のストーリーもの。
ムンバイの市井の人々が描かれている。
「リアルに描かれている。」と書こうとして、止めた。
インドのリアルを知らない。
同じアジアの仏教国同士だけど、あまり馴染みが無い。
いつか行く事はあるのだろうか?
若く美しい妻イラは料理上手で、夫の為に毎日丁寧にお弁当を作っている。
ムンバイでは昼前までに妻が作ったお弁当を、配達人が集めて、
それぞれの会社の夫の元へ届けるというシステム。
ある日の午後、配達人が返却しに来たお弁当箱を開けると、
普段あまり食べない夫が、珍しくお弁当箱を綺麗に空にしていた。
実は、お弁当が間違って他の誰かの元に届けられていたのだった。
相手はどこかの会社の経理で働くサージャンという男で、
妻に先立たれ、子供も無く、孤独に暮らしていて、早期退職を間近に控えていた。
夫は浮気していて、イラが着飾って帰宅を出迎えても目もくれない。
イラは見知らぬ誰かが自分の料理を綺麗に食べてくれたのが嬉しくなり、
次の日、お弁当箱の中に手紙を忍ばせる。
サージャンは手紙の返事を書き、配達の間違いはその後も続き、
イラとサージャンの奇妙な文通が始まった。
互いの悩みを少しずつ打ち明け、やがて惹かれ合う。
幸福を求めて、一緒にブータンに旅行に行きたいとさえ思うようにもなる。
イラは実際に会おうと伝えるが、サージャンはイラとの年齢差に尻込みして
待ち合わせのカフェに行きながら、遠巻きにイラの姿を見るだけで終わった。
サージャンはイラに黙ったまま退職してしまう。
イラは手元の装飾品等をお金に変えて、ブータンに移り住む決意をする。
気持ちを手紙に認めるが、
果たしてイラは手紙をサージャンに届けるのか、
本当にブータンに行くのか、
サージャンとの関係がどうなるのか...?
イラの物憂い表情で映画は終わる。
純愛不倫?
誰が見ても、ラストシーンには結論を迷うらしい。
他のサイトでも、意見は様々だった。
インドの社会の状況がどういうものであるか、知る事によっても見方は変わる。
個人的には、
イラは夫に対しての精神的決別をして、愛情を求めてすがるような思いは消えた。
でも、生活の色々を考えると、家を出るってのは無いんじゃなかろうか。
あったとしたら、かなり遠い未来。
「間違った電車に乗っても、やがては正しい場所に着く。」と言うセリフがあるが、
それは、イラの人生の旅がまだまだ間違った電車の中に長くいることを
示唆しているように思う。
ラストのシーンを見ると、サージャンは年齢の事もあって、
諦めがついているかのように見える。
別の街に引っ越す決意をしながら、また戻って来てしまうのは
含みを持たせた感じではあるから、
イラとサージャンは再びの奇跡のような偶然で出会うのかもしれない。
どうなるにせよ、観客はイラとサージャン、それぞれのささやかな幸せを
素直に願ってあげられる。
お弁当の集配システムを扱った点に独自性がある。
食事って人生が現れるね。
サージャンの後任になる青年は、孤児で、やっと結婚を認められたばかり。
相手の女性も働いて忙しく、お弁当は作ってもらえなくて、
いつもバナナやリンゴを買って持って来る。
帰りの電車の中で、書類をまな板代わりに野菜を切って夕食の準備をする。
ムンバイの人達って、そうなの?
やたら人懐こくて、ちょっと調子が良い感じが最初はウザかったけど、
サージャンも次第に打ち解けて、遂には親戚代わりに結婚式の後見人まで務める。
街の人達は決して豊かでは無いが、日々のささやかな幸せを生きている。
好みを知らせてくるサージャンに合わせて、塩加減を調整したり、
好物の茄子料理を作ってあげたり、
食事を通してささやかな愛情が交換される。
食事って、大事。
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