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マンガ家Mの日常
歴史に名を残す偉大な作曲家チャイコフスキーの、悪妻と言われた妻、
アントニーナの半生を描いた映画。


19世紀後半のロシア。
地方都市の貧乏貴族の娘アントニーナは、音楽家の道を志すも、
学費が払えなくなり、中退。
母親に辛く当たられてモヤモヤした日々を過ごして20代後半となり、
16歳の時に一目惚れしたチャイコフスキーに、意を決してラブレターを送る。
チャイコフスキーは年齢差(8歳年上)を理由に申し出を断るが、
2回目のラブレターを受け取った後、
アントニーナからの持参金の話につられて、結婚を承諾。

しかし、

実は同性愛者のチャイコフスキーは、女性との暮らしが耐えられず、
逆に、一途に慕ってくるアントニーナに嫌悪感を抱く。
作曲活動にまで影響が出始めたチャイコフスキーは離別を決意。
アントニーナはあくまでも離婚を受け入れず、2人の溝は深まるばかり。
当時、チャイコフスキーは「白鳥の湖」「エフゲニー・オネーギン」等、
歴史的名曲を書き上げて公演を成功させるに至っていたが、
結婚の破綻のゴタゴタで精神的に疲弊し、自殺未遂を起こす。
アントニーナは弁護士を通じて
チャイコフスキーから僅かな生活費を受け取っていたが、
同様に、生活も精神的にも徐々に崩壊し、晩年は精神科病棟暮らしとなる。
チャイコフスキーはコレラに罹患し死去。


北欧バロック絵画を思わせる、精緻な映像が美しく、
心を揺さぶるドラマの展開も素晴らしい。
傑作と言える。

映画では、受け入れられない愛にすがるアントニーナの姿が切ない。
当時のロシアの社会がどのような状況だったかわからないので、
何とも言えない部分があるが、
チャイコフスキーが同性愛者であると結婚前に知らせられなかったのも、
悲劇の原因の一端であったのは確かだろう。

アントニーナにとって、天才作曲家チャイコフスキーは神のような存在。
その妻の座を手放す事など考えられない。
彼に愛されて結婚したのだと信じたい。
結婚式で、神の前で、生涯を共にすると誓った。

現代の基準で単純に見れば、
カミングアウト出来ないチャイコフスキーが、
同性愛を隠して結婚したのがまずかった。それも、持参金目当てでずるいし。
アントニーナは、同性愛について知らされても、何故か全く怯まない。
真の愛情なのか、偶像崇拝的な執着なのか。
現代でも、偶像(アイドル)を崇拝して奇抜な行動に出るファンもいるけど。

所謂、クローゼット・ゲイ(隠れゲイ)は後世も大勢いて、
家庭生活を無難にこなしている人もいれば、やりきれない人もいる。
チャイコフスキーは「天才」故に、
自己の感情に走る事を止められなかったようにも見える。

セレブレンニコフ監督は、
「彼女にとって最も重要な神はチャイコフスキーだった。」と語っている。
「チャイコフスキーとの結婚を神に祈り続け、
 神の座がチャイコフスキーになってしまった。」

信仰心の薄い日本人の自分にはわかりにくいけれど、
欧米人が神に捧げる愛って、
よく言えば、見返りを求めず、一方的に捧げ尽くす、
どこまでも盲信、妄信するような、
底の無い沼のようなものなのかもしれない。

「私はチャイコフスキーの妻。」と言い続けたアントニーナ。
そこまで愛し切れる人と巡り会えたのは、ある意味本望だったかもしれない。

チャイコフスキーって、髭面の写真とかから、かなりなお爺さんだと思いきや、
亡くなった時、まだ53歳。
もっと長生きしていたら、膨大な数の名曲を作っていただろうとも思いつつ、
そうはならない運命だった。
モーツァルト然り。
天才って、そういうものなのかもしれない。
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