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マンガ家Mの日常
映画の感動を味わうのが大事だとして、先に映画を鑑賞。
その後、ドキュメンタリー番組を見る。


映画では、単純な誤認を利用して大尉になりきって芝居を続けるうちに、
徐々にエスカレートして、精神的に侵されていく流れのようだったけど、
ドキュメンタリー番組によると、実際のヘロルトは、
少年期から権威主義的で、弱い者いじめをしたり、
ナチスに傾倒して少年団に入隊していたり、ほぼサイコパスのようだった。
流石にそれでは観客の共感を得られないとしてか、
映画では段階を追って狂気に陥る姿が描かれていたように見える。

最初にフライタークのような、純朴で忠実な人物に出会わなければ、
笑い話で済んだかもしれないという皮肉。
はしっこい兵士は偽の大尉だと気付きながらも、
状況に便乗してしまい、自らを破滅させてしまった。

ヘロルト自身はどうだったのか。
最初は生き延びる為の嘘だったのだろうけど、
次第に権力が快感になっていって、歯止めが効かなくなった。
残虐な処刑をも「大尉」のなせる技と見ていたのだろうか。
だとすると、罪の意識は薄いのかもしれない。

ラストでは、骸骨となった屍が大量に転がる森の中を逃げていく。
自分さえ生き延びる為には、他者の犠牲も何とも思わない、冷徹な利己主義。
ヘロルトの姿ははヒトラーとナチスの小型版として象徴している。
エンディングでは、ヘロルトと部隊が現代で市民を摘発する様子が
戯画的に描かれる。
ヘロルトのみならず、ナチスもまた、
ある種の陳腐なドラマに陶酔して、役を演じていた。

ただその根底には、深い利己主義の闇がある。
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