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マンガ家Mの日常
松岡修造のファミリーヒストリーの番組が放送されるというので、録画した。
まだ途中なんだけど、
テニス選手としての道程を期待していたら、そうではなくて、
松岡修造の高祖父の代からの、主に事業での栄枯盛衰。
それはそれで面白いのだけど。

世間的に見れば、
阪急電鉄や東宝、宝塚の創業の土台を作り上げた、
高祖父とそれに連なる実業家の家族の面々が偉大なのだけど、
松岡修造だって、負けてはいないと思う。
日本男子テニスが低迷する中、たった1人で世界を転戦し、
当時としては「奇跡」と言われる2桁ランカーとなり、46位まで上げた。
更には、ウィンブルドンベスト8の快挙。
芝の王者サンプラスと、センターコートで戦う栄誉を掴んだ。
その後の錦織圭の輝かしい記録によって、松岡修造の戦績は過去のものとなったけど、
松岡修造の活躍があってこその錦織圭の誕生と言えるし、
日本テニス界を支えた貢献度は、経済効果も含まれて良い。

持ち前のバイタリティから、TV番組ではウザイキャラと化してしまったけど、
松岡修造は偉大なアスリートとして、もっと認知されて然るべきと思う。
本人がそんな風に偉ぶったりしないから、気づかない人も多いだろうけど。
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このブログを始めた頃は、
仕事関連の話題の他には、音楽とかの文化的要素を絡めていきたく思っていた。
でも、そこまで真剣な文章を書こうとすると、それなりに時間を取られる。
結果、今みたいな駄文の積み重ねになってしまった。
まぁね、
時々、映画について調べようとして、Googleを開いてお勧めを見るんだけど、
すごくしっかりした専門的なものもあれば、スカスカなのもあったりするので、
ブログを書くって、楽ではない。

文章力って、やっぱり、ちゃんとした長文を書いて、
自分の文章を客観的に見つめ直さないと、上手くならないと思う。
絵画でもね、小さいキャンバスになら、何となくで観られる絵になる。
力をつける為には、小さくても30号以上のサイズで描き込む。
100号くらいのキャンバスに絵の具ぶちまけたら楽しいんだけど、
そのペースで描いてると、キャンバスが貯まってしょうがない。

まだまだ蒸し暑いけど、お盆を過ぎると、夜間は少し暑さが和らぐ。

蝉の死骸があちこちに転がっている。
ヘソ天姿が、生命を全うした感を表しているような。

一歩外に出ると、日焼けも凄いが、いつもながら蚊に刺される。
殆ど立ち止まってもいないのに。
服の上からでも刺される。


小蝿取りを設置して、マジで小蝿が出なくなって、助かる。
たまに1、2匹、ちょっと大きめのが出て来る。
薬剤の効果は1ヶ月となっているので、古いのを捨てて、入れ替える。
小蝿もそのうち薬剤耐性が付いて、強くなるのだろうか。
同じ薬剤を使い続けない方が良いのかな。


連絡は何もかもメールとLINEで済ませる時代になって、
かろうじて年賀状のやり取りは少しはあるものの、流石に暑中見舞いは無くなった。
以前お世話になった弁護士さんの事務所から、ダイレクトメールの暑中見舞いのみ。

終戦の日。

近所の大通りの要所で、警察官が警備。
街宣車は来ず、静かに終了。

以前はお盆休みの間は、都心はもっと閑散としていたが、
この頃は普段とあまり変わらない。
皆、不況で遠出をしなくなったのか、休みの時期をずらしているのか。

インバウンドで、海外からの観光客は相変わらず多い。
たっぷりお金使ってね。


普段使いのお箸を洗っていたら、先の方が3cm程折れてしまった。
結構お高いお箸だったのに。
長年使ってたし、手入れが悪かったかな。
お箸は2本セットなので、片方が残る。
捨てるのも勿体無い気がして、折れた辺りを削って、何とか使えるようにトライ。
カッターナイフで、鉛筆を削るように削り、整えていく。
なかなか思うようにはいかないけど、まあ何とかなったか。
とりあえず、暫く使ってみる。
使い心地が良くなければ、また少し削って調整しよう。

Facebookやネットニュースを眺めていると、
合間合間にデジタルコミックの断片が入って来る。
良さそうなのを開いて、無料の分だけ見てみる。

激しくピンキリ。
企画側が、安く使える素人に描かせたようなものも多く、
そういうのが「マンガ」として世に出されるのは、困った風潮。
一方で、丁寧な仕事ぶりで、確かな画力を感じさせる作品もある。

それでも、デジタルコミックの限界が見えてしまう。
多くは企画モノらしく、テーマが限定されていて、原作者付き。
その事自体がダメなわけではないのだけど。

まず、デジコミで手早く読ませる為に、ページ数が少なくて、
ひたすら無駄なく詰め込もうとしている。
勿論、上手な作家はそれでちゃんと読ませているのだけど、
演出の呼吸、潤いのようなものが入る余地が無い。
また、原作付きの場合、
原作者が文章で出したものにマンガ家が絵をあてるだけのような形になりがち。
詰め込みだから、仕方ない。
結果、絵は目に入るものの、飛ばしがちで、文章だけを追う読み方になってしまう。
原作の文章がマンガとしてのエピソードになり切れておらず、
マンガ家はエピソードを描く絵に至らない。
こうした傾向のまま創作を継続すると、マンガ作品本来の味わいが薄まり、
マンガ家も、エピソードを表現しようとする技術や意識が低下しかねない。

小さな画面をスクロールして、短時間で読み流す、
デジタルコミックの弊害が、今後のマンガの世界にどう影響を及ぼすのだろうか。