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マンガ家Mの日常
愛情を示す為に愛情表現を大量に与えるのがフィリップのやり方だった。
それを断ったり、疲れたと感じたりするのは 礼儀知らずなようだとは思う。

時々 実家の両親の姿と重なった。

愛情のある、きちんとした良い親だった。
でも、私の希望を受け付けず、これが私の為に良い事だとして、
好きではないものを押し付けられる事がままあった。

服を買いに行っても、私が選んだ服を論理的に否定し、
年配の人が良しとする古臭いデザインの物ばかり着させられて、
もう、服を買うのも着るのもイヤイヤだった。
(そんな状態ではセンスが育つ筈も無く、マンガの仕事を始めてから苦労した。)

マンガが好きな事もマンガの仕事も、生涯否定され続けた。
戦争で厳しい生活を強いられた世代の人達だから、
子供には安定した生活を望むのが親心だった とは理解している。
でも、親のコントロール下で人生の全てが成立するものでもない。
実家を出なければ、プレッシャーに押し潰されて
原稿など描けなくなってただろう。
自分のやりたい事にチャレンジする機会も無いまま、流されて、
自分の判断にも自信が持てず、
何が大切かもわからない不透明な日々を過ごして、やがて死を迎えただろう。
両親にとっての正しい愛情は、私自身の生き甲斐を見失わせかねないものだった。

フィリップは常に私の為を考えて 先回りして大量のプランを組んでくれたけど、
私の意思は否定した。
過ぎたるは猶及ばざるが如し、と言う言葉も日本にはある。
与えられる愛情に対して、いけないとわかってはいても、
「私が頼んだ訳じゃない。」
という言葉が 心の中の密かな部分で頭をもたげる時があった。

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